なぜ、自分を大切に出来ないのか



自分を大切にする方法が分からないと
嘆いている人がいる。



自分にはそんな風にされる価値なんか無いんだ。


自分を大切にしなさいといわれても
どうすればいいのかわからない。


皆頑張ってるのに、どうして私だけ何もできないんだろう。
何にも出来ない自分なんか大事に出来るわけ無いじゃないですか
認められる自分でなければ存在の意味がない。
認められていない自分なんか大切に出来ない。

などなど。
                             



   

この叫びは、なんというか、

今ここに存在しているだけでは
自分で自分の存在が許されない、認められるわけが無い、と
過去の積み重ねで思ってしまうのだ。そういう風に植えつけられた。



そんな悲しき呪縛の為に
平均以上に苦しんでいる人が、
自分はそういう状態なんだと気づいていない人も含めて、
たくさんいるのだと思う。



これを悲劇と呼ぶのでしょう。





人は自分がされたことがあることしか
人に与えることができない
という定義があるならば、大切にされた経験がなければ
自分を大切にする方法を学べていなくて当然だ。




じゃあ、大切な存在なんだよって
全く認めてもらえなかったのかといったら
そんなことは無いのだと思う。



ただそれは、条件付だった。
誉められるのも、認められるのも…。






あくまで一つの可能性なのだが
何かを成果を残してはじめて
誉められていた環境があったのではないだろうか。






お手伝いをしたら誉められる。
かけッコで1等賞だったら誉められる。
自転車に乗れるようになったら誉められる。
テストでいい点を取れば誉められる。

という
条件つきで誉めてもらったり
存在を承認してもらっていたのではないだろうか。



なぜ、こういうことが
自分を大切に出来ない原因になってしまうと思われるのかというと

社会で認められるであろう成果を残さないと
あなたの評価なんかないのよ?

という社会で仕事をするときのようなプレッシャーに
幼少期から常に家庭でも学校でもさらされていたからではないだろうか。




外的成果を残してこそ
存在意義があると教えられるということは
逆に言えば、ただ存在しているだけでは


あなたは誉められない
評価される価値に無いのよ


といわれていると思ってしまっても
しかたがないのではないだろうか。



子供は親に愛されたい認められたいと思うのは当然だから
必死に親の期待に応えようとして頑張る。
なぜなら、認められたいから。





もちろん
社会に出ればお金をもらうということは
何か成果を残して存在価値を認めてもらうからこそのお給料なわけだ。



株式など金融商品などはのぞくが
少なくとも人的労働には結果が伴ってしかるべきだ。
サービスの対価として給与が支払われるわけだから。


ただ、幼い頃から、家庭でも両親からも常に成果を求められていたら
よほど強靭な精神力の持ち主で無い限り、いつかは壊れてしまう原因となる疲労と不満が溜まっていっても仕方が無いのではないだろうか。


それでも、頑張って結果を出せているうちは良かった。
周りは誉めてくれるし、自分も結果を出しているから嬉しいし
結果があれば認められる。
だから、もっとがんばる。

そうやって、一生を成果を出し続けていける人もいるのかもしれないが
誰しもが継続的に成果を残せるほど、世の中あまくはない。


そうして
結果の出ない自分をどう扱えばいいのか
わからなくなってしまい、もっと複雑な問題を呼び込んで…。






きっと、そこを乗り越えていくには
ゆっくりと時間をかけて自分と向き合っていくしかないのだ。


皆出来てるけど自分は出来ない。悲しいし悔しいけれど
まぁそんな自分だってしょうがない、オッケーでしょ!

そんな風に思えるくらいまで自分を許すこと
完ぺき主義という呪縛から解き放たれることが必要なのでしょう。


自分の尊さを外部の評価じゃなくて
最低ラインは自分中の自己評価によって
健康でいられるだけの存在感を認めてあげられるようになる、というか。

自分の嫌なところを受け容れることが出来なければ
相手の弱点を受け容れること、つまり
相手を認めて受け容れることなど出来ないのでしょう。


なぜなら


弱いところの無い人間などいないのだから
まずは自分で自分のことを弱点のある人間なのだ、それも仕方ないな、
と認めてあげなければ他人を許すことは出来ないでしょう。

許されない相手と一緒に居るほど、人間はお人好しじゃあない。
時間を共有したいと思わせてくれるのは、自然体の自分を受け容れてくれる相手ではないでしょうか?

それで周りの評価が全てだった人が、周りの人が静かに去っていき受け容れられなくなるほどに自己評価もさらに下がっていくという悪循環が生まれてしまう。




後述するかもしれませんが、これはある種の犠牲者ともいえるんだよね。
なんの犠牲、誰が得してるのかって、それは残念ながら親であることが多いと思います。

自分達がいかにいい親か、いかに優秀に育てたのか、という物差しとしての道具みたいに意識無意識はわかりませんが、扱ってきたからだと思います。