人という道標

愛を出会い
愛を信じ
愛に破れて


愛を憎み
愛で許し
また愛を知る




風に吹かれ
迷い揺れて
生きるこの道


あなたの笑顔
それは道標





人に出会い
人を信じ
人に敗れて


人を憎み
人を許し
また人を知る


風に吹かれ
笑い
泣いて笑う
この道、



貴方の笑顔、それは道標




(道標・福山雅治












精神疾患にかかってしまう人ほど
人が好きなのだろう。





え?対人関係がうまくいかなくて
人からストレスというダメージを受けているのに
なんで人が好きだって言えるの?



とおもうかもしれません。





けれども、
悩むというのは悩まないようにしたいということ。



対人関係で悩まないようにしたいということは
人と仲良くした言ってことなんだよね




人とうまくいかないから悩むし、
うまくいきたいのは人と仲良くしたいという表れなんだ。





人を求める強さに対して、
自分のコミュニケション能力が追いついていないがために
自分に失望し落ち込んでしまう。



人が大好きじゃなかったら、
そんなに自分を追い詰めるほどには
悩まないだろう。


適当にゲームとか2次元に
逃げ込んだっていいわけだし。







けれども、どんなに病もうが傷つけられようが
人とのコミュニケーション、人と触れていたいという気持ちが消えなかった。





だから、精神疾患を持っている人は人が大好きなんだ。

実際、良くなる過程ではやっぱり人との関りに中で
その関係性を大事に思えたことで症状が緩和されていく例が
たいへんに多いように思う。





人に傷つけられ追い詰められても
人に癒され救われ、また人との関り合いの中で生きていく。
それが人生の意味そのものなんだ

人と一緒に人の人生はある。










どれだけ塞ぎ込もうとひきこもろうがうつになろうが
人は人を求めることを止められない。
人と何かを共有して認め合いコミュニートすることを
絶対に諦めないし諦められない。
そういう弱くて強い感性を、人は持っているし誰もが捨てられない
人間が人間としての尊厳のようなものだ



うつ病だって、自分の肯定感が喪失している。
何で喪失しているかというと、誰からも認められない自分に落ち込んでいる。
認められなくて落ち込んでいるということは、他人からの評価承認を求めている。
認めて欲しいって、人を求める気持ちから始まっている。
認められてると思えないから、気分が落ち込みセロトニンの働きだって悪くなる





対人恐怖だって他人に評価してもらえないことが怖い。
ってことは認めて欲しい、人を求めているってことだ。







やっぱり、精神疾患の根幹は対人関係なんだ。
もちろん、薬も大切だけど、それよりも対人関係パターンを見直し
もう一度、いや、もっとよりよく人と関わっていけるように
今までの自分の対人パターンを見直して訓練する期間を、病気療養という
時間で、誰かから与えられているのかもしれない






そう

人を求め人と時間を共有したいという思いがある限り
人は生きていける。


人との付き合い方なんて、学んで身につけていけば
いいだけなのだから




人とうまくいかなくなっても、人に対して興味の無い人は病まないし
うまくいかないことを問題だとも思うことは無い。


ただ、うまくいかないことを問題として捉えて悩んで病んでしまう。
そんな人たちには、一時期の休息の時間が必要だとしても
人生を豊かに出来るチャンスが十分に残っているんだと、
考えながら生きて生きたいと強くねがう。




人を求めている限り
世界で呼吸する意味は続いていくのだ。