悲しみ欠乏症候群




■自己満足のために泣く。他人の痛みに共感しているわけじゃない


いずれにしても、
彼らの「涙」は人間的な成長に繋がるような深いものではなく
あくまで自分がすっきりするための”排泄物”であり
「私っていい人」と自己満足に浸るための手立てにしか過ぎない。

(いまどきの「常識」 香山リカ 岩波新書






















□総論






大した努力をしていないのに
「どんなに強く願っても無理」だと思う。



大して行動に移していないのに
「追いかけても追いかけても届かない」って思う。


会いに行ける距離なのに
「会えない」と思い込む。




思いが叶わない=悲しい




悲しい状況を自ら演出しているのではないだろうか。
















◇悲しみを取り込みたい現代人






西野カナの印象的な歌詞



会いたくて会いたくて震える

追いかけても追いかけても届かない

たとえ、どんなにどんなに強く願ったってもう戻れないけれど

会えない時間にも愛しすぎて








■携帯世代のカリスマは喪失感を与えてくれる



なんかこう、西野さんがカリスマみたいな言われ方をするのって、
”悲しみたい人”が多い(特に携帯世代)に多いから何じゃないかと思えちゃうんですよね。



なんというか、喪失感?を味わいたい人が多いのかなと。




失恋だったり叶わない思いだったりっていう喪失感を
自ら演出して悲劇のヒロイン的な状況に酔って悦に浸ったりたいっていう
”悲観願望”みたいなものが蔓延しているような気がする。










■積極的に悲しみに飛び込む人々









例えば、
大した努力をしていないのに
「どんなに強く願っても無理」だと思ったり、
大して行動に移していないのに
「追いかけても追いかけても届かない」って思ったり、
会いに行ける距離であっても会えないと
思い込んだり。




まぁ挫折の機会を得にくい現代社会においては
自分だけが苦しい思いをしているという仮想的有能感
生まれやすいって言う状況も加味しているのかもしれないけれど
なんというか、


『積極的に自分を悲しみの状況に追い込むことで
 悦に浸たろうとしている』



ような気がしてならない。









■傷つかないと自分を大事に出来ない時代







そして、悲しみを感じている自分を
自分で大切にしてあげたい、というか。


逆に言えば、条件を付けなければ
自分を大事に出来ない時代であるとも言えるかもしれないけれど。





悲しみを感じれる自分は嬉しいし、
悲しんでいる自分はケアするに値する自分だから
大事にしてあげられるし、もしかしたら、周りの人にも大事にしてもらえるかもしれないし、
同じように悲しんでる(状態の自分に酔っている)友人が居たら、悲しみという気持ちで
つながることが出来るかもしれない。




無痛文明社会の副作用かもしれない。
悲しみこそ生きている感覚というか…


システムが出来上がった居る社会においては
痛みを回避して生きることが可能。
あったかい世界に慣れすぎて、感覚が麻痺している。
だから、痛みを自らに与えることで、生きている実感を感じようとしている。


その辺の、「喪失感」の共感に対するマーケティング
西野さんは抜群にうまいなぁと思う。










◇「友情」「絆」のという外見を求める。中身は興味ない





■薄っぺら委友情しか結べないからこそ友情が重要視される






それに、女同士の付き合い方の暗黙の了解を
極めて肯定的に歌詞に織り交ぜて、
全てを共有しあう、という女性ならではの友情のスタイルは
素晴らしいんだ!という事を歌い上げている点も、
人間関係が薄っぺらくなっている今だからこそ、
ウケているのかもしれない。




これも、友情で相手とつながりたいけれど、うまくできないという「喪失感」を
上手に演出していると言えると思うけど。

だって、本当の意味での仲良くなるための行動なんか取れないんだから。










■寂しいけど人間関係の摩擦は面倒





仲良くなりたいなぁっていう思いは持っていても、
誰もそれを実行には移さない。”適切な距離”を保つことしかできない日常。


だからこそ、友情は素晴らしいものだということを歌っている場所に
共感している人たち同士で、友情を求めているゴッコに興じているわけだ。



誰とも心からの繋がりを得られないってわかっているからこそ
つながりたいという気持ちだけが一人歩きしていて、
そのつながりたいという気持ちだけに共感しあって、
実際には個人的な結びつきは築けない。






■他人と”人間同士”で繋がれない → 宗教の隆盛






人との摩擦が怖い。だからこそ、結びつきたいという「思想」に
共感して生きていたい。


恐らく、これからは宗教の時代なんじゃないか?
モノを消費するのも飽きた、人とつながるのも怖い、
だとしたら、実体ないもの、つまり、思想妄想みたいな場所に寄り添って
その思想を通じて社会とつながりたいっていう思いが。


AKBも嵐も似たようなもので、
現代人が個人的な人間同士での繋がりを怖がっているからこそ、
アイドルという媒体を通して誰かと繋がっている自分を確かめようとしているのではないか。
本来的な意味での人間同士の繋がりじゃないとしても、それなりの効果はあるから。




個人的な情報や感情の往復がなくても
嵐やAKBが好き、という集合体の一員になれるから。


他人と付き合うって事は
相手の短所も受け入れていかないといけない。
それが面倒。だから、適度な付き合いでいい。


近くに居る人間と、直接的に結びつくことが困難だからこそ
大きな場所に属している自分を感じることで、
なんとか孤独である自分から目をそらすことができる。