対人関係療法で治す「気分変調性障害」水島広子 創元社
- 作者: 水島広子
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2010/10/20
- メディア: 単行本
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●はじめにーー本書を読んで頂きたいのは、こんな方です
・自分は人間としてどこか欠けていると思う
・ほかの人は苦しいことにもしっかりと耐えているのに、自分は弱い人間だと思う
・自分は何をやってもうまくいかない
・自分は何か、なすべき努力を怠っているような気がする
・人が「本当の自分」を知ってしまったら、きっと嫌いになるだろう
・「○○したい」というのは、わがままなことだと思う
・自分が何かを言って波風を立てるくらいなら、我慢したほうがずっとましだ
・自分の人生がうまくいかないのは、自分が今までちゃんと生きてこなかったからだ
・人生は苦しい試練の連続であり、それを楽しめるとはとても思えない
・これから先の人生に希望があるとは思えない
もしも、あなたが殆ど毎日、上に挙げたように感じているのであれば
本書をぜひ読んでみてください、
本書のテーマである「気分変調性障害」である可能性が高いからです。そんなふうに感じる多くの方が「気分変調性障害」などという病名を
聴いたことがないかもしれませんし、今まで一度も治療を受けたことがないかもしれません。
…
■気分変調性障害の人の生き方
治療を受けていない気分変調性障害の人は
自分の感じ方が病気の症状だとは思っておらず
「人間としての欠陥」に基づくものだと思っています。
そして、その「欠陥」を、とても人から受け入れられない、恥ずかしいものだと思うため
隠そうとして生きていく事になります。それは本当に苦しい生き方です。
そもそもうつ病でエネルギーが低下しているのに
その限られたエネルギーをすべて使って「ふつう」に見せようと努力するのです。
一般には勤勉な働き者になります。
自分には価値がないと思っているので、
それを重労働でカバーしようとするのです。自分の駄目さを見破られないように、自分のだめさのために
人に迷惑をかけないように、と頑張ってしまうのです。また、たとえば社会に出るとき、環境が変わるときなどには
極度に圧倒されて感じるのも気分変調障害の一つの特徴です。「こんなにだめな自分が、そんなに多くの能力を要求されるところで
やっていけるわけがない」と感じるのです。同時に「誰もが普通に乗り越えていることに圧倒されてしまう自分は本当に駄目な人間だ」
とも感じ、さらに努力することによってカバーしようとするのです客観的に見れば、気分変調性障害の人は実際には「できがよい」ことも
少なくありません。
もちろん、うつ病の症状でエネルギーが全般に低下していますので
本人の本来のデキよりは悪いのかもしれませんが
客観的には大問題になるようなことはまずないもので
(気分変調性障害に大うつ病が上乗せされると、仕事の生産性などはぐっと落ちて
他人の気づくところとなりますが)
一般には「まじめな人」「頼りになる人」という評価を
得ていることが多いのです。ところが、気分変調性障害の人に、学歴や職歴のよさを指摘して
「あなたは本当は出来る人なのです」と言ったとしても、
それで自分についての感じ方が変わるわけではありません。多くの人が、自分自身の社会的な評価を「分不相応」と感じていて
「いつか、こんな評価に値しない人間だという事を見破られるに違いない」
と恐れているのです。
そして、そう見破られないようにと、さらに必死で努力をしていくことになります。健康な人であれば評価されればそれだけ自己評価も高まるのでしょうが
気分変調性障害の人は、評価されることでますますプレッシャーが強まる傾向にあるのです。また、健康な人であれば、ある程度なにかが達成されると「今まで頑張ったから、少しはゆっくりしよう」
などと考えることもできますが、気分変調性障害の人は
その達成を「たまたま」と感じ、調子に乗って実力を見破られないようにと
さらに努力を積み重ねたりすることになります。そのように、常に無理をしているのですが
(そして、気分変調性障害の人はそれを「無理している」と感じるよりも
「このくらいのことはやって当たり前」と感じているものですが)
それが限界を超えると、大うつ病が上乗せされることになります。ここまで読んで、「自分の場合はできが悪いから、該当しない」と思った方は
それこそが気分変調性障害特有の感じ方である可能性を頭に置いておいて下さい。気分変調性障害になると、実際よりも自分を低く評価するものだからです。
また、客観的な評価がどうであれ、「他者による評価よりも自己評価の方が低い」
ということは、あらゆる気分変調性障害の方について言えると思います。なお、気分変調性障害の人でも、大うつ病が上乗せされれば
社会的な機能は低下します。日常的には何とかやっていても、何らかの失敗や異常事態に見舞われると
うまく対応できなくてなってしまうこともあります。
「駄目な自分」を隠そうとして必死にやっている人は
何かうまくいかないことがあると「やっぱり自分は何をやっても駄目なのだ」
と絶望的に受け止めたり、「だめな自分が露見してしまう」と
パニックになったりしてしまいますので、
健康な人よりもはるかに、大きなストレスを受けることになります。「単なる運の悪さ」「誰にでもあること」などととらえることは
まず不可能で、すべてを自分の「人間としての欠陥」に結び付けてしまうのです。対人関係も苦手で、親しい人がいないケースも少なくありません。
何と言っても、自分には人間としての欠陥があると思っているのですから
親しい自己開示が出来ません。
特に、不満など自分の中のネガティブな気持ちを打ち明けることは不可能に近いものです。そんな気持ちを抱く自分を「未熟」と感じますので
問題のなさそうな顔をして隠します。
そして、本当の自分を知ったら人は自分を嫌いになるだろうと信じています。
さらに後述するような対人関係の特徴的なパターンもあり、
事実上、人との関係の中で満足や安心を経験できないような構造に陥っています。ですから、気分変調性障害の人は、全般に対人関係を避け、引きこもる傾向にあります。
そして、若くして発症するため、対人関係の絶対量が少なくなってしまいます。
すると、対人関係の試行錯誤をする機会も奪われてしまいますので
さらに対人関係能力が低下する、
という悪循環に陥ってしまうのです。本人が「自分には対人関係の力が無い」と思い込んでいるのは
単に、気分変調性障害という病気の結果として対人関係の力を磨く場が
少なかったと言うことなのです。これは、人間的な欠陥ではなく、今後、そのような機会を作っていくことによって
取り返していける性質のものです。気分変調性障害の人は、職場では普通に人とやり取りしているように見えることも
少なくありません(明るく元気に見える人すらいます)。
仕事では役割が明らかなので、まだ何とか「要求されるであろうやりとり」が
できるのです。
自分の意見を言ったり、自分の悩みを相談したり、という人間としてのコミュニケーションをしているわけではなく
単に、「この立場だったら、こんなことを言っておけば大丈夫だろう」と
思うようなことを言っているに過ぎず、仕事上の一つの課題を何とかこなしているという感覚です。