寂しさの侵食

寂しさは人を破壊する。




心に留まらず、血液みたいに全身に行き渡って
各部分を壊死に追い込む。



落ち込むと免疫力や抵抗力が下がるといわれているが
そういう生化学的な根拠から来る数値的な意味ではなく
なんというか
本当に身体の隅々を巡り巡って蓄積されていくような感じ





寂しさは弱さだ。孤独だと感じている人は負け組みだ。
仲間が周りにいない孤立した人間だと思われるのはイヤ、
だから寂しいなんて口が裂けてもいえない。




けれど、寂しいって口に出せる人ほど実は健康だ。
健康だし強い。



弱さを隠すことなく披露できるのは間違いなく強さだ。

そう、怒りも嫉妬も寂しさも、マイナス感情だと真面目な人が思っている感情も
人間として感じることは当たり前なのだ。

だから、ご飯なに食べる?欲しいものはある?と同じテンションで
寂しい、と堂々と発言できるのだろう。




きっとそれは育ってきた環境から培った環境が影響していて
マイナスを見せたら相手に弱点を披露してしまうことになるとか、
マイナスノ感情を誰も受け止めてくれないという経験をすれば
自然をそれを表現することを避けるだろうし


寂しい!って訴えれば誰かが包んでくれるという
暖かさを体験していれば
外に出せば救われる感情なんだ!と思えるだろう



そう、寂しさは冷たさと一緒なのだ






蓄積していくとドンドン体温が下がり体調が悪化する
悪化させる相手(敵)となんか接触したくない、だから人間は嫌い




そんなふうな連鎖が起こっても不思議ではないだろう。

でもね、やっぱり愛着期に寂しさは埋まるもの、という経験がないと
その先の人生でも、寂しさというポッカリ開いた穴は
何をしても埋まらないものなのだと実感してしまうんだよ。

だって、生まれてから抱えて生きて来れたんだもの。
その圧倒的な空虚感は自分を感じた頃から自然と備わっているものだ
思い込んで生きている。

だから、それは不快な感覚ではあるけれど、どうにもならないものなんだと無力感と諦念を感じて
生きている。




寂しさを何で埋めるかというテーマを
生きる意味として与えてくれているという面では
少しプラスになるのかな。




だって、寂しさ感じても幸せな人だっているし
むしろ寂しさがあるからこそ
誰かと一緒いる幸せがあるって言う人だっているから。



確かにその話は希望がモテる。

ただ、寂しさの真剣さというか逼迫感は経験しないものと経験しない者が
相容れることはないだろうね。。