お金は大事だよ

男はお金で女性を釣り、
女性はセックスをエサにして男性の優しさ(お金・プレゼント・扱いとしての優しさ)
を引き出す。























男性は、自分の子孫を残すために多くの場所に
精子をばらまくことで、子孫を増やす確率を上げたい。





女性にとっては自分と自分の子供の安全が保障されていることが
最も安心を感じることが出来る。


保障、つまり自分に安心を与えてくるリソース(資源)の中で、
相対的に自分を守ってくれ確率が高いのは、お金だ。



だから、物理的な安心を与えてくれるリソース(資源)である、お金を持っている男性に
群がって、手に入れることを争う。








お金とセックスの交換という形で
それぞれが欲しいものを与え合っているのが、
男女の関係性という事になります。




















「お金なんて、たいした問題じゃない…」
という奇特な方もいらっしゃるのかもしれない。



きっと素晴らしくタフな精神力を持った方か、
現実が見えておらず偽善者ぶる自分に酔っているのか分からないが、
残念ながら、お金は大事な場面が非常に多い気がする。




恋愛というスクリーニング(探査)期間は、まぁいいとして、
結婚という生活するためのアライアンス(協定)を結ぶためには
お金というリソースは、非常に重要な資源だ。





結婚におけるアライアンス(協定)というのは、色々あるかもしれませんが、
大きな山場としては、出産があると思います。




どういう協定かというと、
これから稼いだ分のお金をあなたに投資して、
あなたと子どもを守りますから、
僕の子どもを育ててください!



ということが、結婚という協定条約の中で
大きなパーセンテージを占めるのではないでしょうか。





父親という役職は
女性に、「あなたの子どもよ」って言われた時点で
始めて就任できる役職なのであって、
決して自分ひとりでは昇格できない地位です。


逆に言えば、夫にしてもらうであろう事を
全て外注するだけの財力を持っている女性であれば、
父親なんて必要ないのです。






そう考えると、男性が父親という役職を与えられるのは、
子どもとお母さんのために多くの有用なリソース(お金)を
集めてきてくださいね、という為のポストに思えて仕方が無い。



だから、満足なお金を稼げている男性であれば
家庭を顧みないことは、なんだかんだで解消のある男性として
認知されていたし、奥さんのほうも、外で頑張ってくれているから、
という満足いくリソースがもたらされていたから、
一応は、納得していたのでしょう。



けど、現在は経済の成長が止まったので、
満足なリソースを与えられる人が少なくなった。


満足なお金を稼いでいないのに、家庭を顧みなければ、
妻の不満は溜まっていくばかりだ。



だから、足りないリソースを補う為に、
妻の為に使う時間を、家族の為に使う時間を増やそうとする、
ワークライフバランスとかイクメンみたいな
男性のあるべき形が生まれてきているのではないでしょうか





満足な資源を稼げないのであれば、家庭を顧みなければ、
妻の溜飲は下がらないのです。








こう考えると、男性の使命は、いつの時代も女性のニーズに
適切に対応していくことなのではないかと、思い知らされます。









あるいは、子どもの面倒は誰かが見なければいけないから
女性が子どもをメインで見るとしたら、自分が働けない代わりに、
より多くのリソースをもたらしてくれる男性=収入が多い男性を、
世の女性達が奪い合っているのも、納得できるのではないでしょうか。

















結婚という市場でもやっぱり、
お金という最優先資源を持っている男性が人気だ。






お見合いで公務員が人気があるのはお金が高水準で安定しているからだし、
地位と年収が比例するのであれば、
より地位の高い男性がとりあえず初めに選ばれるのは
すでに自明のことと思う。



お金というリソースは男性の採点の全てではないが、
かなり多くの部分を占めているのは、間違いないのではないでしょうか。














あるいは、
夫婦間に限定すれば、ケンカや揉め事の8割以上は、
お金がらみという事実もある。










考えてみて欲しい。
別に男女関係じゃなくても、
いま抱えているイライラや不安の8割くらいは、
お金で解決できることではないだろうか。




満員電車での通勤ストレスは、
タクシーが使えるお金があれば解決される。



家事が面倒なら、
定期的なハウスクリーニングを頼めるお金があれば解決される。


ムカつく職場だって、お金があれば、
もっと心に衛生的な職場に転職すればいい。







根源的な寂しさとか、他人の心とか、大きな病気、


これらの、お金ですぐに動かすのが難しい2割の事象以外は、
たいていのことは、お金で解決できるのではないだろうか。







老人ホームに入居している人の中で、
家族の訪問回数の多さは、入居している高齢者の遺産の額に
比例するという、なんとも現実的で面白い分析もされているそうです。






こんな風に日常のイライラから解放されて
余裕が生まれれば、人にやさしく出来る。
優しく接することが出来れば、人間関係はうまくいく。
ムダにぶつかる必要も無くなる。



だから、全てではないけれど、お金は最重要要素なのだと思う。








ただ、それでもお金なんか関係ないって言い切る人は、
本当に本当の幸せを知っている人なのでしょう、




それはそれで、とっても羨ましい価値観形成の環境を過ごしてきたのだなって
羨ましく思いますけどね。








ただ、女性が完全に独立した生活を持っていたり、
超絶なイイ男だったり、才能の開花手前の予感を感じさせる、
ような場合には、女性が求めるものは変化するのかもしれません。







まぁそれだって、
自分が稼いでいたり、将来に投資したものがリターンする確率が高い、
という意味では、残念ながら、やっぱりお金って大事なんだと思います。






ちなみに、同じ職種で同じ役職であれば、収入が低い人ほど自分の仕事に
満足感を持っているそうです。





それは、本当に仕事が楽しくて毎日が充実しているから
給与は二の次なのかもしれませんが、
それよりも、自分は仕事に満足している!って思わなければ
心のバランスが取れないのだと思います。



こんなに給与が低くても、働いているんだから
私は仕事が好きなんだ!って自分を誤魔化さなければ、
やってられない、というのが実状なのではないでしょうか。



将来の為、好きなことをやらせてもらっている、
そうやって自分を納得させていかないと、
通帳の数字を目の当たりにしたときのショックから立ち直れないのでは
ないでしょうか。














このように、お金による安心と、セックスによる子孫保存という
男女がお互いに求めるモノをエサにして自分の目的を達成するという、
需要と供給のバランスがとれているから、
男女は互いに求め合うのだ。


相手が求めるものを自分が持っているのであれば、
それを武器として、相手の譲歩を引き出したり、
よりよい条件の取引先を選ぶのは、至極当然の事である。






ただ、ここで自分の武器に対する価値観が
男女で若干の差があるような気がします。














男性はお金というエサで女性を釣ることに抵抗が無い。
抵抗どころか、むしろ、それだけの財力がある自分を誇らしく思う



男というのは、自分の醜さを恥じ入る気持ちが希薄。
醜さなんて、みんなお金でカバーできると思っている。



たとえ相手が自分でなく、自分の経済力に惹かれていると知っていても男はむしろ、それを自慢にさえ感じるところがあるじゃないですか。











けれども女性は、セックスというエサだけで男性を釣れたとしても、
どこかで空しさや寂しさを感じてしまう。





男性が自分の武器(お金)を増やすために、
仕事というスキルをあげて、自分を高める(訓練)こと
に誇りを持っているのに対し、



女性は、セックスアピールという自分の
女性性という武器を最大限に高める訓練をして、
鍛えた武器を使って男性に認められたとしても、どこか、不全感というか、満たされた感じがしない。



自分自身が認められたと感じにくいのかもしれない。







ここに女性の苦悩があるような気がする。














自分の武器を最大限に生かす訓練をするにしても
訓練の結果である、お金を利用することに恥を感じない男性と、
訓練して自分の女性の部分を磨いて、それを利用することに、
なぜか恥を感じてしまう女性。



なぜ、自分より良い条件の男性から愛される為に、
アピールを磨いているのに、それを活用することを拒むのか。








「女性は一生に使える卵子の数が限られているので、ほとんど無限に近いぐらいの精子
 作れる男性と比べると、どうしてもセレクティブ(選択的)なのです。
 女性のほうが、恋愛に慎重というか、少なくとも性行為に慎重なのは、
 これが理由です。」




という理屈は確かに分かりやすいのだが、
もっと重要な部分があるような気がします。







男性が自分の財力は自分そのものと思っているのに対して女性は、
心と身体は別物というか、身体での成果が自分に帰属しているという意識が
薄いのではないかということです。






男性がお金という武器を得る為に自分を磨くのと同じように、
自分のセックスアピールという武器を磨いて、有効活用しようとするのに
アピールして成果を得たとしても、なんか、
イマイチ満足感が得られない、というのは、
やっぱり女性の幸福感というの一本道ではなく
複合的な要因が絡まりあっているのだろうなぁと
思わざるを得ない。





自分が磨いてきた武器を活用して得た成果に
満足感や達成感を感じにくいとしたら、
挫折の回数が増えて傷つく回数も多そう。



だけど、自殺したりうつ病になったりするのは
男性のほうが圧倒的に多い。




そうなると、やっぱり女性って強いですよね。
切り替えというか存在の安定感というか。








心がドッシリしているのだろうなぁって思います。




参考

 

恋愛経済学

恋愛経済学

女性は大変。













女性が女性として生きていくのは
本当に大変だ。



いや、推測だから恐らく、
とっっても大変なのだろう。








女性は、
男性が思っている以上に重たいものを背負いながら
生きているのだと思う。









メイクや服装は状況に応じて変えなきゃいけないし、
社会で活躍しようにも、つまらない男性のプライドを適度に刺激しないように塩梅を考えながら気を使って行動している。





どれだけ、仕事で男性の競争に割っていける能力を持っていても
彼氏や夫、未婚だったり、子どもがいなかったりすると、
なぜか、不幸な女性なんだろうなぁ、という評価が
まだまだ下ってしまう時代だ。






自分らしく生きなさいと言われても
社会では女性性としての活躍を要求されるし
女性らしさを感情に演じなければいけない。





そして、くだらなくて仕方ないとわかっていつつも
男性のショウモない自尊心を満たすために
思っても見ないことを言ってみたりしなければならない。










それでも、そんなソブリも見せずに生きているのだから
あらためて、女性の強さ、男性の脆さを痛感せざるを得ない。






そりゃー給湯室でグチの一つでもいいたくなるのも
無理は無い。


















20歳を過ぎたら後は退化を阻止する対価を払っていくだけ。
できることはアンチエイジングだけ。




いわゆる、「若さ」が戻ってくることは生理学的にはありえない。




ハリがなくなるかわりに水分が失われ、
シットりとした肌質に変わっていく。





上昇は無い。
あるいは、老化を遅延させることはできるかもしれないが、
不可逆的なものである。



それでも、男性が本能的に求めるのは
妊娠での失敗の確率が低いであろう、若い女性だ。





どれだけ頑張って愛されるような自分になったところで、
若い芽は次から次へと溢れ返ってくる。






若さという最大の武器を使って手に入っていたものは、
皮肉にも若さという凶器によって、あっけなく奪い取られてしまう。










レディースデイの割引は受けらて嬉しくても、
もうひとつのレディースデイはプチ修行。



近くなると憂鬱になるという話も。
ただPMSについては、ビタミンB6や葉酸、鉄分を
適切に摂取していればかなり痛みを軽減できるらしい。





ただ、これは接している男性にとっても、結構難解な事件であって
いきなり機嫌を損ねてしまったり、今までは笑い話に出来ていた、
ちょっとした話題でも、逆鱗に触れてしまって、アタフタするケースが
後を絶たない。








バレたくはないけど、気づいて欲しい、
みたいな恋心みたいなモノなのだろう。



なんとなく、恥ずかしくてバレたくないけど、
入ったことは、それとなく察して欲しい…。


男の能力は、どこまでニーズ適応力を求められるのでしょうか。









ただ、高齢になった女性に骨粗しょう症が多いのは
レディースデイが閉幕して、カルシウムを生成するホルモンが
レディースデイによって、体内に分泌されなくなったからだ。








だから本当は、高齢者こそ、カルシウムを摂取すべきなのだ。



排卵の為とはいえ、ちょっとキツめの儀式なのだろう。









男性と女性に



「男性でよかったですか?」


と男性に聞くのと、




「女性でよかったですか?」




と女性に聞くのでは、
恐らく、女性のほうが、
女性じゃないほうがよかった、女はイヤ!って
言う意見が多いような気がする。







それは、男性の人生は全て自分の責任だけれど
女性の人生は、残念ながらその人本人の手が届かないところで
評価が左右されてしまうことが多いからだ。








男性の場合に典型なのは、若いオタクIT社長だろう。






ゲームばかりしていたオタクと呼ばれる気持ち男性が
詳しすぎるITの知識を駆使して会社を持ち、
大金を稼ぐようになる。






すると、不思議なくらいに女性にモテはじめる。







学生時分には自分から言い寄ってもキモい、ウザいと言って、
汚いものから逃げるようにしていた女性達が、翻って
あちらからアプローチをしてくるようになるのだ。









まさに、
見た目も容姿も関係ない。
一気に人生、大逆転だ。






たとえ、どれだけブサいくでキモい趣味や人物像であったとしても、
会社を成功させて、稼いで社会的地位を手に居れるという、自分の力、
自分の責任で、人生を変えていけるのだ。








だから、良くも悪くも、男性の場合は、あきらめがつく。
自分が努力しなければ、まぁこういう結果も仕方ないだろうなってなる。








登っていく権利があるのなら、
登らないで下流に生きるのも、また選択肢としては正しい。









そこには、納得感がある。











成功したければ、稼げばいいのだ。
稼ぐという自己効力だけで、
いままでの劣等的な評価をいっぺんさせることができるのだ。




















たいして、女性はどうだろうか?











誤解を恐れずに言えば、






生まれ持った容姿や体型によって
人生の7割くらいは
決まってしまっているのではないだろうか。









それは非常に残念ながら、幼稚園のときから、中
高生、社会に出て働いても、
このことを感じざるを得ない場面を
多くの人が経験しているのではないだろうか?








逆に言えば、先天的な有利さを(意識、無意識に関わらず)
上手に使って生きている女性だって、多くいるということだ。















同じ事をしても
あの子はカバってもらえたのに、自分は笑いものにされた。





学校のイベントで、一緒に写真をとってくださいと言われる子は、
大抵、キレイどこばかりだ。





同じミスなのに、
あの子はフォローしてもらってる。
けど、自分は責められて叱責をくらっている。






不公平だ、何がこんなに明暗を分けるのだろうか…
と、嘆いた事だって、数知れずあるだろう。








もちろん、男性の場合でもイケメンが優位に働くのは間違いないのだが、
男性の場合は、キャラをうまく使い分ける(自分の責任で動かせる)ことで、
カバーできてしまうのだ。





そこそこの顔でも、笑いキャラになることで、
人気を得ていた男子生徒が、一人か二人、いたのではないだろか?






女性の場合は、
大人しいキャラであろうが盛り上げキャラであろうが、
容姿レベルが上位にいれば、
どちらでも人気があったような気がする。










がんばってブリ子をしていても、
わざとらしい、キモい、と言われる女性と
天然系だ癒し系だ、と言われる女性との差は、
まことに残念ながら、容姿の差、それ以外の何者でもないといわざるを得ない。




もちろん、キャバクラでナンバーワンになれる人は、
必ずしも容姿端麗でないと言われている。
けれどもそれとは少し意味合いが違う。






無条件に認められる条件を揃える事を前提として
個性とか接し方によって、心を掴んで指名を増やす戦いの舞台に立てるのだ。






容姿で勝負できないなら、他のものを磨くしかない。






あの子よりも、何事も一生懸命だった。
勉強だって部活だって、雑用だって必死にやった。
空気を読んで気配りだって欠かさなかった。






それなのに、選ばれるのは、
何も出来ないお嬢様!そんなバカな!!






という、先天的に与えられたものというか、
努力とか自己責任の範囲を超えたところでの才能?によって、
残念ながら評価に多大な影響をあたえているものと思われる。




もちろん、能力を伸ばしたり、所作を身につけたり、マナーを学んだりと、 努力をすることによって、
超えていける部分だってたくさんあるわけだけど、 裏を返せば、与えられたキレイでかわいらしい容姿という貯金で 一生、
それほどの努力と訓練をなくても、
平均以上の生活を手にいれている女性が
存在していることも、また揺ぎ無い事実なのではないかと思う。










努力と訓練を積んできて、その上で闘い、
勝敗が決まるのなら納得できるが、
自分の力が及ばない部分、努力してもどうしようもない部分で
闘う前から勝敗が決まっていることほど、納得いかないことなどないだろう。









自己の責任で全ての勝敗を決める権利を持っている男性に対して、
力のおよびにくい場所で、知らない間に勝敗がついている事が多い女性は
女性という性について、辞めてしまいたいと思う人が多いのではないかと
思われる。
























女性の春と夏はすぐに終わってしまう。初秋には、
すでに女の子、あるいは
女性という枠を外されてしまう事だって珍しくない。






だから、いかに若いうちに若さを武器に
一生を保障してくれるような相手を探し出せるかに、
多くの時間を割く。









いかに若さが愛される要因になるのか、女性は知っている。
それは、男性が若い女性が好きなのではなく、
若い女性のほうが妊娠出産が問題なくスムーズに進む可能性が
高いだけの話。






男女は、妊娠出産には若い方が有利なことを
みんな知っている。






でなければ、歳相応の経験だけではあきたらず、
いつまでも若い子と若さで競い合うような滑稽な茶番を演じるようなことは
ないだろう。









対して男性の春夏は社会に揉まれて競争に身を置いてツラくても
秋という収穫期は本当に長い。





死の直前という冬を迎えるすぐ前までが、秋という収穫期が続いていくヒトだって
大勢いる。




だから男性は長期に渡って、ピークを経験できるかもしれないという
未来が得られる。
歳を重ねることを、むしろ歓迎するのだ。








経験を積むことは、男性としての器に比例するが、
女性はむしろ未経験なことが多いほうが、
男性の征服欲を刺激するのには最適だ。






若さってのは、若いことを求めているのではなく、
結果的に、若い方が、条件が良い事が多いだけの話なのだ。





だから、若いままはいられないが、
若くいることは、大いに可能なのではないかと思う。




















優秀な女性であっても
優秀な女とは限らない。





男は勉強が出来たりスポーツができたりと、
小さい頃から評価されてきたことが
そのまま社会での競争をするときの土台となり評価の対象になる。




勉強だったり運動能力が高いヒトほど、
社会での成功を手にしている=収入が高い





だからモテる。






男性の人生は、評価されるものが、基本的には
幼い頃から一直線上にある。






対して
女性の場合は、悲しいかな、必ずしもそうとはいえない。




選ばれる男性になるためには
男性は小さい頃から積み重ねてきたものの
直線上にあるのに対し、




女性は寄り道をしなければいけなかったり
あるいは今まで積み重ねてきたもの(概ね社会的キャリア)を
手放さなきゃならなかったりする






キャリアが幸福に繋がらない。
あるいは幸福そうな女性として見てもらえない。






どれだけ社会的に成功しているように見える女性でも、





一人身だったら、どう思われるだろうか。
子どもがいなかったら、何を言われるか分からない












たとえば45歳男女がいる。
同じ会社の部長という地位だ。





この時点で、女性の部長?という違和感を
覚えざるをえないのが日本といってもいいかもしれない。





それで、45歳の二人の部長は二人とも独身だ。




男性に対する評価はどうだろうか?




お金もあって、地位もあって、家も車も人脈もあって
適度に遊んでるんだろうなぁ羨ましいなぁ
結婚なんて、できないんじゃなくて、しないんじゃないだろうなぁ



というような評価が一般的なような気がする。




たいして、45歳の独身女性部長は
どういう評価を周りから得ているのだだろう?





仕事を頑張りすぎて、婚期を逃したんだろうなぁ
出産もあきらめているのかしら。
この先も一人で生きていくんだろうか?
あぁ仕事は出来るのに、なんか、かわいそうだなぁ



女を捨てたっていう感じなのかなぁ



かわいそうに…。











「かわいいそうに」





そう、かわいそうという評価なのだ。




女性に生まれたのに、妊娠する機会を逃したなんて、
女性としてカワイソウに…という評価が
残念ながら付きまとってしまう。





会社で地位ある場所について、収入もあるし、人脈だって恐らく
多岐に渡り、部下や同僚からの信頼も厚いだろう。




それなのに、結婚していなくて、赤ちゃんがいない女性の人生は
かわいそうだと思われてしまうのだ!








男は自分を証明することが生きることそのものだ。
相手に勝って、社会で認められて、認められた分だけ
よりよい遺伝子を持っているであろう女性を選ぶ権利を与えられる。





だから、家事も生活力も全て母親や女性にまかせて
受験勉強をしたり部活動に打ち込んだりする。







男性のちっぽけなプライドのために
女性は全てを引き受けている面が見え隠れするのだ。







結婚を焦るのはとかく女性が多いのは
女性のほうが結婚するメリットがあるから、
つまり、結婚しないとできない(出来ないと考えられる)ことが多いからだ。



日本には、夫婦という単位でなければ許されないことが
多い風潮が、まだまだあるのだ。




女性が結婚をしたい理由は子どもが欲しい、子どもを認めて欲しい
というのが第一位だそうだ。






男性の場合は
男性は、コミュニティーの長になる「家族は俺が支えている」
というプライドのためと、セックス先の安定的確保。






ただ、男性が結婚をあまり肯定的に考えないのは、
女性よりも結婚に対する効用(メリット)が少ないからだろう。





男性が、女性と一緒にいるときに求めるのは、
基本的には結婚という契約をしなくても、味わえることが多いからだ。




安定的にセックスをすることも、
自分が関わる階層群で自分が一番上の地位にいる
(男が1位で女性が2位という関係性だけでも、自分の地位が上だということを男性は感じられる)も
交際だけでも同棲でも、男性は満たされる事ができるのだ、








じゃあどうして女性が結婚を急ぐかといえば、
歳を重ねるごとに卵子の数が減っていくからです。



男性も、そのことを本能的に知っているのでしょう。
だから、若い人が選ばれやすい。



自分の子供を健全に産んでくれる確率が高い人を選ぶ、
だから若い人が選ばれる。




なにも男性は若さが好きなわけじゃなくて、
結果的に、若い人を選んでいるというだけなのだ。




68歳だって23歳と結婚できちゃうわけ。




















ただ、男性が競争に勝って社会で成功しようとするのは、
女性が社会的に強い男性(稼げる男)を求めているからなのだ。





年収の高い男性が選ばれるのは、
子どもと自分の将来が保障される確率が高いからなのだ。



愛なんてクソくらえ!というわけだ。
女性のほうが、何倍もした強かだ。









男性は常に女性から選ばれるように柔軟に対応しているのだ。





ガツガツされると困るといえば、草食系に、
お金を稼げないなら育児を手伝って、と言われればイクメンに、
優しくてもイザというときはしっかり頼りたいと言われれば、ロールキャベツ、





このように、常に女性のニーズにあった姿に男性はなろうとしてきたのだ。







極言すれば、この世界は男性が女性に受け容れてもらいたい=モテたい
という思いが支えになって発展してきたといっても決して過言ではないはずなのだ。




ちなみに、男性が夜のお姉さんに会いに行くのは
なにもエッチなことばかりを考えていっているわけではないと思います。





お姉さん達にお金を払って褒めてもらいにいっているという部分が
大きいのではないでしょうか。





会社では怒られててばかり、家でも収入が減った、
家事を手伝ってくれない、
などなど、必死に働いても、誰も褒めてくれない。
だから、お金を払ってでも誰か(女性)に褒めてもらいたいのではないだろうか。






褒めにきていると分かっているから
お姉さん達は、「すっごーい」と甘い声で驚いてみせて気分を良くさせて
より多くのお金を落とさせようとしているのだ。




これは男性が生きている理由でもある
自分の価値の証明を確認する為に、誰かに褒めてもらいたいという
欲求を満たそうとしている行動なのだと思う。
















男性が結婚してください!っていうのは、
「自分が稼ぐであろう収入を分け与えますので、自分の子供を産んでください」
という事と、同義なんだよね、きっと。






もっといえば、
自分の取り分の金を分けた得るので子宮を至急提供してくださいwみたいな
感じなんでしょうね。




で、女性が年収が高い男性を求めるのも、
子どもを守りたいから。お金があればあるだけ、
自分と子どもが守られるリソース(資源)がたくさんあるということだ。







夫に支えてもらっているという気持ちの問題はともかく、
どんなサービスも基本的には外注できる時代ですので、
お金があれば、とりあえずは安全安心が保障されているのです。





だから、結婚に一番大事なのは、残念ながらお金なんだとよね。
ちなみに、女性の稼ぎが高くなるほど、離婚率は上昇するらしい。




自分で稼げるようになれば、男性なんて邪魔なだけですからね。
子どもを育てることや、生活を穏やかに送るには、
男性は役にたたなすぎる。





じゃあどうして、女性は結婚を承諾するかって言うと、
やっぱり自分で稼げないお金を提供してくれるから、というのが
離婚の上昇でも伺えるのではないでしょうか。
















結婚したら楽になって幸せになれるという幻想を持っていては
現実とのギャップに悩むだけ。






私達が落胆したり怒りを感じたりするのは、
相手の反応に対する自分が持っている期待度を
相手の反応が下回ったときだ。







料理を作ったのに旦那がマズいも美味しいも言わない。











この時に女性が怒り出すのは、
自分が料理を作ったという行為に対する旦那の反応は、
もっと感謝されると思っていたからだ。





これくらいは褒められるだろう、と思っていたのに、
それが満たされなかったとき、人間は怒りとか悲しみを覚えてしまうものだ。




だとしたら、傷つかない方法は、たった一つ。
最初から過剰な期待をしないことだ。













働かなくて済むとか女性は家を守ればそれでいい、という
古き良き時代は終わった。




結婚は確かに幸せなものかもしれないが
それをしたら、すぐに幸せになれるんじゃなくて
自分たちの手で酸いも甘いも味わいながら、幸せを積み重ねいけそうな
確率が最も高いと相手と一緒になっただけで、
結婚=幸せ、みたいな都市伝説は悲しいけれど、終わった。






理由は簡単。経済が止まったから。



専業主婦と子供二人という日本的な家庭を
自分の稼ぎだけでまかなっていける男性が激減しているから。


朝、旦那を送り出して
子どもを幼稚園に送って、
家事、洗濯、しつつワイドショーみてお昼寝して
友達と電話してメールして夜ご飯のしたくして
迎えに行って、みたいな
ゴールデンコースは、もう夢幻。





男女の求めているのもの違いを理解することが重要




男性はプライドを守りたいだけなんです。
自分が誰かを支えていたり、影響を与えていると勘違いすることでしか、
自分の存在意義を見つけられないのです。





会社一筋の男性が定年を迎えて
空しくなっている自殺するというのは、
自分が社会に何か影響を与えているという
自己効力感を感じられなくなっているからだ。












それだけ、


男性が生きること=プライドの証明


という、女性からしたら、くだらないと思えるような事だって
男性にとっては大いに重要なのだ。






逆に言えば、自分が何かを支えていて、自分が影響を与えているという
感じを感じられるなら、何でもするのってことだ。





女性にだって優しくするだろう。
女性が求めるものは、可能な限り叶えてあげたいと思うし
出来る範囲で努力だってするだろう。





全ては、自分が何かをもたらしているという感覚を得る為に。




だから、プライドなんてくだらないっていいたい気持ちも
十分にわかりますが、そこはあえて一段高い位置から見守る母の目線の
ような場所から、女性が男性に役割を与えてあげて、
(ウソでもいいから)あなたのおかげで幸せよ!って
伝え続けてあげることが大切なのではないでしょうか。



それがうまくいけば、男性が稼ぎ出した恩恵を
受け取れるかもしれません。


夜のお姉さん達と違って、褒めるという原価ゼロ円で
効果抜群の方法だけで。




バカをバカで終わらせないようにうまく
転がすのが、本当に幸せになれる女性の
重要な要素なのではないでしょうか。
















女性が化粧をしたり、ダイエットをしたり、
露出度の高い服を勝負服に持ってくるのは大抵の場合、
(否定したい人もいるだろうが)より良い男性から、より良い子種をもらうために
他ならなりません。



きれい、かわいくて、若い、健康、

この条件を満たす子ほど、男性から支持されるという事を
女性は経験的に知っているので、
少しでも男性に愛される女性になる為に
必死に自分を磨いて、男性にアピールします。




ただ、ネイルアートだけは、少し様相が違うようです。


女性がネイルアートにはまるのは、かわいくなって
男性にアピールするのではないようなのです。



女性はネイルアートは男性ウケが悪い事を知りながら、それでも
爪を装飾して、カワイイ爪を眺めることで、そのかわいさに自分を投影しているのです。





ちょうど、女の子がぬいぐるみを集める心理と似ています。


かわいいネイルアートを眺めたり、ぬいぐるみ抱いてみることで、
そのかわいいものと自分を同一化して、自分も可愛いものになろうとしているのです。


だから、ネイルアートに関しては、決して男性に愛される為に
投資しているわけではなさそうです。






ちなみに、男性がネイルアートを口では褒めていても
心では良く思っていない要因としては、
料理上手にも床上手にも、見えないからではないかと推測します。















昨今の晩婚化は
結婚問題の最大の原因は、女性の高望み。



もちろん、女性が経済的自立を果たしてくれば
男性を選ぶ眼も自然と厳しくなる
(自分が妊娠などしている間、私が働いていた時以上に稼げるetc)
のは当然だ。



しかし、男性が女性より稼げるという旧態依然の法則は
すでに崩壊寸前なのである。





幸せな結婚をしたければ、強い女にならないこと。



女性は共有願望、男性は征服願望。



しっかりしている女性でも、
彼の前では、しょうがないなぁ、と思われるように演じる。








男女平等とかジェンダーとか難しいことではなく、
あくまで幸せな結婚 ができるかどうかという焦点だけの話し。




なんで女性がヘツラってオベッカ使うようなマネをしなきゃいけないの!?
そんなの絶対イヤだ!という人もいるだろう。



それはそれで、間違いなんかじゃない。









ただ、自分のプライドを守るのと、
男性に男性としての勤めを果たしてもらうために
うまくコントロールできる女性になるのか、


それは本人が決めればいいだけだ。
















男性の相対的な幸せは、概ね、仕事で成功して
たくさんのリソース(お金、地位など)を身につけることで
女性に侵入を許可してもらうこと、


これが幸せになる基準だと思われますが、
女性の場合は、何が幸せの典型なのかは、多様すぎて定まっていない。
だからこそ、選択肢がたくさんあって迷い苦しんでしまうから、
女性は、大変なのだと思う。





男性は幸せの青写真は、ハッキリしているが
女性は自分の幸せを自分で見つけばければならない。



そのことを、不幸と思うか、
自分の選択で人生を切り開ける自己効力感として
肯定的に捉えるかは、人それぞれだ。





それでも、ゴールを定めるところから始めなければいけない女性のほうが
何百倍も、大変だし豊かな人生を送れるのだと思う。



競争に勝つこと以外に、幸せの分からない男性なんかより、
ずっとね。

真実の不幸

きみと澄むこと

きみと澄むこと












自分が不幸な女だった、
ということも恋人と出会ってから知ったことだった。



不運は両親の不仲でもなく、
母の再婚相手とうまく暮らせなかったことでもなく、
大学進学を断念したことでもない。



初めての恋人に妻子があったことでも、
次の恋人との子供を堕胎したことでもない。
34歳を迎えるまで、今の恋人と出会えなかったことだ。




結構な年月を、彼を知らずに生きてしまったこと。
少女の頃から、ずっと彼がそばにいてくれたなら、
きっと無傷でいられただろうと言うことが、





私の最大の不運であった








☆☆






あなたに会うまでの道のりは暗くて
町の灯を一人きり、遠くで眺めていた

自分らしさなんて言葉は嫌いだった
生き方の上手な人のセリフだった。

偽りからのスタート

愛してると君が言う
口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから
それもまた僕にとって真実






愛すべき人よ、君に会いたい
たとえそれが、恋とは違っても







本当の気持ちはいつだって、迷い・間違い・取り繕って
偽りから始まるんだ。






セフレから本命に昇格した例など
ごまんと溢れています





















感情は行動(脳)を後追いする。という内容を
さんまさんのテレビを見てて学んだ。







私達は、感情が先にあって
感情からの行動が生まれていると思っているが、
どうもそうではないらしい。



脳で、この人のこと好きかも!と思う事。
それから、好きという、恥ずかしいようなコソバユイような
感情が生まれるらしい。






好きという感情が初めにあって、
私はあの人が好きだ、と思うのではなく




私はあの人の事が好きだ、という脳の判定から
恋に付随する感情がうまれてくるのだそうだ。




あるいは、
悲しいから泣くのではなく、
泣いている自分は悲しいって事なんだなって思うらしい。



泣くという行動の後で、泣いているから悲しいんだという感情がついてくる。


まさに、感情は行動から生まれているのだ。










また、モテる女性の要素の第一位は「おねだり」をする女性らしい。





これも、感情は後からついてくる理論と一緒で、


おねだりをされる→


しょうがないなぁと思いつつちょっと嬉しい→


何かをその女性の為に買う(投資)→


プレゼント(投資)をしたのだから
自分はこの女性を好きなのかもしれない、
いやきっと好きだ!





という図式が成り立つんだそうな。




まずは、行動をさせておいて、
男性が自分の行動を正当化(つまり女性を好き)できるように
運べる女性こそがモテるらしい。




変に遠慮しいで奥ゆかしくていい人を演じている女性は、
相手の負担にならないように心を配っているのに肝心なところで、
大事な人を持っていかれるケースが
多いのも、こういうことなのだろう。



ある程度の負担(投資)は、お互いの為に負荷したほうがいいということだ。








人間は誰しも自分の行動(投資)が間違っていたなんて思いたくない。


だから、自分の行動にあわせた感情を生み出す(女性が好き!)ことで
自分は間違っていないんだって、証明したくなるらしい。


自分が投資した女性なのだから(行動)
この女性の事を俺は好きなんだな(感情)


というように、行動が先にあって、そこから感情が生まれる。




なので、行き過ぎない「おねだり、嫉妬」は
潤滑油として大いに相手に見せてみるのが良いそうだ。













これはつまり、
悩みに悩んで、100%の感情が溜まって、
覚悟を決めてから行動をするよりも

まずは、行動してみることのほうが、重要なのだということを
示唆しているのではないだろうか。






綿密な計画を立てて気持ち的に納得してから行動することよりも
行動にあわせて気持ちを修正する能力を、人間は身につけているらしい。


それはきっと、
どんなに辛いことがあったとしても、
それは過去になり、「そんなこともあったね、ツラさも必要だったんだね」
と、自分を納得させながら誰もが生きている事の証明なのだろう。


感情は行動を正当化できるように出来ているらしい。
生きていく為に。












人の為と書いて「偽り」



偽善でも同情でも見下しでも、なんでもいい。
ウソから始めたことを
ホンモノに昇華させていく力を人間は持っているのだ。


ウソから始めた行動(投資)によって、
投資したという事実が、
こんなに投資するくらいに、俺って復興して欲しいって願っているんだ…
という、錯覚にも似た思いを与えてくれるのだ。


このとき、ニセモノはホンモノに変わる。

行動は、感情を連れてきてくれるのだ。









人の気持ちなんて常に浮遊していて、
ひとところには停滞していない。



取引先にいきなり切られてしまうこともあるし、
恋人から前触れ無しにフラれてくしまうこともある。

あんなに安定してのに、どうして…
と思っても仕方が無い。


気持ちが動いてしまったのだから。



安定はあっても
固定された気持ちなど、皆無だ。












それは、逆に言うとチャンスも生むわけで。

現状では手に入らなそうな人だって、
あきらめる必要なんて、まったく無くて。


誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いているわけで。








だから本当に欲しいものであれば、
心変わりまで「待て」っていれば良い。











どれだけ愛し合い思い合っている同士だって、
気持ちが永遠に続く保証なんてどこにもない。




よく、「あきらめたらそこで終わり」
みたいな事が合言葉のように使われているが、その通りなのだろう。




気持ちは常に動くものであるから、動くのを待てばいいだけだ。

動くまで「待つ」事を諦めなければいいだけ。






ニセモノも長く続けば、陽の目を見えない脇役から
ホンモノに昇格する可能性が無いなんて、どうして言えようか。



大逆転は、待つという痛みの代償としてのみ
得られる結果になるだろう。







どうしても手に入れたいものを手にするためには
「待つ」ことと、「偽りを演じている自分」に耐えること。


いずれも忍耐力が必要なのかもしれない。





人の心は、常に流れている。







☆☆






ちなみに蛇足だが、
「なにぬねの」を語尾に付けると
女性はモテる、らしい。






あれ欲しい→あれ欲しいなぁ


お手洗い行ってくる→お手洗い行ってくるねっ


私、リラックマ好き→私、リラックマ好きなの〜







恐らく不思議と男性が途切れない女性は、
こういう事が飲み会や合コンなどで
ナチュラルに出来ている人が多いのではないでしょうか



ツボを自然体で心得ているからだと推測される。








で、こういうある種のブリっ子がなされるのは需要があるから。




供給されるものは必ず需要があるから、与えようとするものだ。
これは資本経済の基礎だ。



それはきっと、男女関係にも適応できるはず。





つまり、ブリっ子はちょっとね…なんて言っている男性であっても、
ある程度のブリっ子を求めているということなのではないだろうか。



かわいくあってくれる女性を求めているのではないだろうか。
だから、モテる女性は、自分がぶりっ子を演じることを
ナチュラルに演じているし、ぶりっ子に抵抗が少ないのではないだろうか。








選ばれる(購入される)には、選択者(購入する側)の
ニーズに合わせたモノを提供するのは必然だ。







モテる人というのは、その人自身が輝いていることはもちろんだけれど、
求められている姿、
相手の持っているニーズに自分を適応させる事ができる、
演技派の人の事を言うのかも知れない。

寂しさを買う



衝動買いをする人がいます。
じつはこの行為も孤独の裏返しです。




買い物へ行って目的の物が見つからないと、
ついつい違うものを買ってしまう。




そのような経験が一度や二度ではすまない人は、
モノではなく、もっと欲しくて必要なものがある自分を
認めることが重要かもしれません。




衝動買いを止めるには、もっと周囲の人間と深い関りを持つことです。


物欲で埋められるモノなんて限られているし
お金だって永久にある人なんて限りられている。
まして、買えば買うほど空しくなるだけだ。











店員にちやほやされることで孤独を癒す=買い物依存症
依存傾向のある人は生育暦に問題の根があることがあり、
一般的に安心感の得られない家庭で育った人は
何かに依存しないと
不安を抑えられなくなる傾向があるといわれています。





店員さんは商売なので売るために、お似合いですよーと褒める。
この褒められる快感が忘れられないから買い物に依存してしまう。



つまり、根本には褒められた経験に乏しく自尊心が低いので褒めてもらえる場所に行ってしまうのです。




店員さんの言うことを聞く=母親の言うことを聞く=自分はイイコ



という、



いい子で優秀で言うことを聴いて
周りを喜ばせていた、という人生が一番上手く回っていた
思春期までの時間の自分に戻て
ホメられる自分という地位を築くことができる。



人は、慣れていないことには不安を感じて
慣れていることを求めてしまうものだ。




例えば、やさしくされることに慣れていれば、
やさしくされると安心します。








従って、やさしさを感じる人と一緒にいると安心感を覚える。
だからおのずと自分に優しい人と一緒にいることを選択するようになり、
間違っても冷たくするような人に一緒にいることを好んだりしません。
冷たい人と一緒にいると、不安を感じるからです。










しかし、これと全く反対のケースもあります。
つまり、好むと好まざるとに関わらず、
人間は冷たくされることになれてしまうと、
冷たくされることによって安心感を覚えてしまうのです。





その結果、「冷たくされて悲しい。不愉快だ」と感じているはずなのに、慣れていることへの安心感から冷たくされるほうを選択してしまう。
そんな皮肉な結果に陥っているというわけです。



つまり、ミジメになろうとプライドがズタズタになろうと、フラれ続けてきた人にとってはモテるよりは、冷たくされることの方が安心なのです。
もちろん、表面上は「フラれるのはイヤだ」と思っていても、慣れ親しんだ”フラれる”状態にいたほうが不安にならずに済むのです。






恐ろしいことですが、この理論は、水商売をしている女性たち(特にキャバクラ嬢)も、うまく使っているようです。

どういうことかというと、モテそうな男性には優しく接し、モテなそうな客にはツンツン冷たく接するとリピーターが増えるというのです。



モテそうな男は、ちやほやと優しく扱って気分良くさせてやれば、
再び店を訪れる。



しかし逆に、モテなそうな男は、冷たく扱うことによって、
また店に来たい気分にさせるというわけです。





もしも、幼い頃に不安定な環境に慣れ親しんで育っていたら
不思議と、安心できる人よりも、
危なくて不幸になるのが分かっていても、そちらに惹かれてしまう、
そういう人っていますよね?


それって、別にその人が壊れたい願望があるとか窮地が好きとか
そういうことじゃなくて、
そちらの環境のほうに安心を感じるからなんだよね。





それは一見、危険そうに見えても、危険なところこそが
心落ち着く安定した場所というか。

悪いのは、あなた

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原因が”私”じゃないなら、薬は要りません






ここ数年、「クスリはいや」という人の中に
独特の考え方をする人たちが増えていることがわかる。
彼らは、誤った薬物の知識や情報に踊らされてそれを拒否しているのではない。






そもそも、医学的な診療の手順そのものがイヤなのである。




例えばあるとき、うつ病のひきがねになったストレスを探り当てようとして目の前の患者さんにあれこれ質問をしてみたことがあった。




職場や友人関係はどうですか?
などと質問しているうちに、相手はどんどん不機嫌になっていった。



そしてこう言ったのだ。




「先生の言い方を聞いていると、
なんか私の人生には色々な原因があって、
それをうまく処理できないから私がうつ病になった、
とおっしゃりたいみたいですね。
 ということは、今回のうつ病の原因は、私自身だということですか。
 私が弱いからそのせいでうつ病になった、と先生は言いたいのですね」










もちろん、そんなふうにうつ病の原因をその人の人生や心の内面だけに
求めようとしたつもりも、ましてや本人を責めるつもりもなかったので、
私はあわてて否定した。



うつ病は何も原因がなくても起きる病気ですから、
 あなた自身に何か問題があるだなんて言うつもりはなかったのですが」







それでも納得できない、という顔で帰っていった
その人は次の週、別人のような晴れやかな顔で診察室に入ってきて
こう告げた。








「先生、やっぱり私が悪いわけじゃなかったです。
 あれから知人に紹介されて、気孔の先生に診ていただいたんです。
 そうしたら、クビがコチコチで、気や血液の循環が悪くなっていると
 言われました」






ちなみに、この人は、大学院を卒業して専門職についているヒトデ、
何でもすぐに信じるタイプにはとても見えなかった。



そんな頭脳明晰な人が、気功の先生の話を鵜呑みにしてしまったのは、
その仮説に説得力があったからなのか?いや違う。
先回の診療で「うつ病の原因はあなた自身の内面にある」と
言われたような気がして不快になっていたところ、
気功の先生に




「あなたには何の責任もない。それは宇宙のせい」といわれたのが大きかったのだろう。

「そうか、私のせいじゃないのか。」とより大きなもののせいにするkとで
「それなら仕方ない」とうつ病を受け入れ、気分を軽くすることができたのだろう。 









愛されたい症候群

愛されたい愛されたいってみんな言う。










自分を磨き続ける原動力には様々あるが
最終的に行き着くのは、愛されたいから磨き続けるんだ。




男性なら、強くなって高い地位を得て名声と報酬を得る。
そうしてより良い女性に愛されたい。


女性なら、可愛い服装、可愛い仕草、メイクして整形してダイエットして
少しでもイイ女になって、より力の強い男性に愛されたい。




人は、愛されるために行動するし愛されることが生きるための
最終目標なのかもしれない。








けれども最近、若い人を中心に

「愛を感じることができない。」
「自分は愛されていないんじゃないか?」


そんな風な思いが心を掠めて、
常に心がソワソワしてしまう。


じゃあ、その人が天涯孤独かといったらそうではない。
むしろ、客観的には恵まれてた環境にいることだって少なくない。



贅沢を常にしているわけではないけれど
日常を送るには何不自由の無い家庭。

適度に遊んで喋れる気の置けない友達。

フリーでいる期間が一般的な間隔より
短いくらいに恋人だって途切れない。







そんな風に恵まれていそうな彼らは
どうして愛を感じていないのだろうか?




けれども、どうやら、



「愛されていないって感じているわけでもないんだよね」


っていう反応が返ってくることが多いようだ。



それはつまり
両親も友達も恋人も、愛してくれてると思う。
すごく良くしてくれるし、私のことを大事にしてくれるって思う。


愛してくれているとは思うんだけど、なんかその事が
愛されているという感覚に直結するかって言うと、ちょっと違うかなって…。





そんな風なフワフワした答えが返ってくる。











これは結構重要な事を示唆していて

愛されているなんて、形ではわからない。
感じることでしか分かりえない。

愛は考えるものではなく、感じるものだから。






それなのに、愛されている感覚がフワフワしていて確かなものではないって事は
やっぱり、相手からの行為を愛されている、と感じてはいないという事なのだろう。



感じることしか出来ない感覚を
感覚でキャッチできていなければ
それは、愛をキャッチしていなのと同じことなのだ。




それと、もう一つ大事なのは
愛してくれているんだと思うんだけど…
という部分である。


そうなんだよね、なんとなく
これが世間一般で言う愛情表現なのかなぁ
という事は、なんとなーく分かっているんだよね。

だから、きっと愛してくれているんだと思う、という
反応が返ってくる。

じゃあどうして、愛しくれているだろうけど
それを愛だって、堂々と思えないのだろう。


それはつまり、
何が愛なのか、何を持って愛されているのかってのが
本人の意識の中でもわかっていないんだよね、きっと。



愛の形がどんなものなのかという
愛の基本の形の金型が自分の中に身についていない。
だから、愛と呼べそうなものがカラダの中に入ってきても
それが愛なんだって識別することができないのだ。

愛のモデルがないから。





それは愛されたことがないから
愛が何か分からない。

すなわち、愛がどういう形なのかわからないから
これが愛だ!って認識できないでいる。
なんとなく、愛だと思われるような気持でも…。






幼い時に失った愛の形って、
もう取り戻せないの?と言われたそんなことはないだろう。





それには、
愛とは何かを知るために
親ではない誰かに愛される必要がある。




誰かに愛の金型を作ってもらう必要があるのだ。



ただそれは本当に難しいことだ。



愛と言う型を幼い頃に作ってもらってなかったら
愛が入るスペースというか、愛がどんな形なのかを
学ぶのは困難を極める。



歳を重ねれば重ねるほどにだ。



脳科学の分野の話になるのか分からないけれど
人間はある一定の年齢までにカラダの基礎が出来るから
その基礎が固まった後で動かそうとするのは困難を極めるのだという。






脳科学でなくとも、
歳が行かないうちのほうが人格という形が出来上がっていないから
加工修正してあげるのに苦労と痛みが少なくて住むというのは
なんとなく想像できる。













愛されたいと強く願う女性には
頑張り屋さんが多いように思う。



何かを達成している自分、
何かを努力している自分




そういう自分を止めてしまったら、誰からも愛されないのではないか
結果と成果が出ているからこそ、
なんとか認めてもらえているだけなのではないか?




このウラに隠されているのは、
何も成果を出せないダメであってもイイ子でもない自分でも
愛して欲しい
ダメな自分でも愛されたい!という
痛烈な気持ちがあるように思う。




それは長所があるから存在を許されるのでは無く
短所がある自分でも認めてもらえるという
安心感を得ることが、幼少期からなかったから。




それは結局は、
「自分は世界から受け容れられている」
という漠然とした安心感得ることが出来なかった為に
幼少期から抱える精神的飢餓が大きく関連しているのだと思う。




あるがままの
良い子でない自分、例えばワガママをいったり
泣いたり、お母さんに構って欲しいからこそ怒らせるような事を
してしまったり、そういう手を煩わすような感情を
表に出しても、受け止めてもらえる、イイ子じゃない自分でも
しっかり受け止めてもらえるんだ!という安心して
相手に寄りかかれる経験が無いと
いい子の自分しか評価されないんだって思ってしまう。





十分な依存を経験したことがないと、
友達に対する「安心したよい依存」ができません。



親に自分のわがままをぶつけるという依存をして、安心や安全、気持ちよかったという気持ちを味わっていない場合は、
相手に依存することは許されることで
気持ちの良い事なんだという体験が出来ていないから、
友達に依存することもできない。





かけがえのない両親から依存という自分を認めてもらえていないのに、
他人ばかりのこの世界は、
自分を受け容れて認めてくれるわけがないんだ!という事になる。









ただ、女性だって本当は知っているんだ。
どんなにいい子を演じて、どんなにいい女の条件を満たしている風に演じて、
どんなにダイエットしてスリムになっても、メイクしても、整形をしても
露出した服着て街を歩いても、
そういう外面が輝いている自分を認めてもらったところで
空しさが溢れてくるだけだってことを。





痩せていない自分、
露出という女性の性を強調しなければいけない自分
そんなニセモノの自分を愛してもらったって、何も満足しないって。


望みどおり、外見に男性がひっかかっているというのに…



つまり、愛されると思われる自分を演じていくら
愛されるキャラを演じている自分が愛されようとも全く満たされることはないのだ。


じゃあどうするかっていうと、短所も含めて自然体の自分を愛してくれる人を探すだけ。
愛されるための癖が身についてしまっていてはなかなか抜けないのかもしれないけれど
愛されるであろう、一般的な女性像に流されないで、自分らしく居ること。

(一般像になりたくて流されて、流されたことで自分にフィットするなら
 その像を自分にとりこめばいいけど、違和感があるのに、愛されそうな キャラを演じ続けるのは間違っている。
 自然体じゃない自分を演じても疲れるだけだし
 演じている自分が愛されても満足感なんか得られないから)