偽りからのスタート

愛してると君が言う
口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから
それもまた僕にとって真実






愛すべき人よ、君に会いたい
たとえそれが、恋とは違っても







本当の気持ちはいつだって、迷い・間違い・取り繕って
偽りから始まるんだ。






セフレから本命に昇格した例など
ごまんと溢れています





















感情は行動(脳)を後追いする。という内容を
さんまさんのテレビを見てて学んだ。







私達は、感情が先にあって
感情からの行動が生まれていると思っているが、
どうもそうではないらしい。



脳で、この人のこと好きかも!と思う事。
それから、好きという、恥ずかしいようなコソバユイような
感情が生まれるらしい。






好きという感情が初めにあって、
私はあの人が好きだ、と思うのではなく




私はあの人の事が好きだ、という脳の判定から
恋に付随する感情がうまれてくるのだそうだ。




あるいは、
悲しいから泣くのではなく、
泣いている自分は悲しいって事なんだなって思うらしい。



泣くという行動の後で、泣いているから悲しいんだという感情がついてくる。


まさに、感情は行動から生まれているのだ。










また、モテる女性の要素の第一位は「おねだり」をする女性らしい。





これも、感情は後からついてくる理論と一緒で、


おねだりをされる→


しょうがないなぁと思いつつちょっと嬉しい→


何かをその女性の為に買う(投資)→


プレゼント(投資)をしたのだから
自分はこの女性を好きなのかもしれない、
いやきっと好きだ!





という図式が成り立つんだそうな。




まずは、行動をさせておいて、
男性が自分の行動を正当化(つまり女性を好き)できるように
運べる女性こそがモテるらしい。




変に遠慮しいで奥ゆかしくていい人を演じている女性は、
相手の負担にならないように心を配っているのに肝心なところで、
大事な人を持っていかれるケースが
多いのも、こういうことなのだろう。



ある程度の負担(投資)は、お互いの為に負荷したほうがいいということだ。








人間は誰しも自分の行動(投資)が間違っていたなんて思いたくない。


だから、自分の行動にあわせた感情を生み出す(女性が好き!)ことで
自分は間違っていないんだって、証明したくなるらしい。


自分が投資した女性なのだから(行動)
この女性の事を俺は好きなんだな(感情)


というように、行動が先にあって、そこから感情が生まれる。




なので、行き過ぎない「おねだり、嫉妬」は
潤滑油として大いに相手に見せてみるのが良いそうだ。













これはつまり、
悩みに悩んで、100%の感情が溜まって、
覚悟を決めてから行動をするよりも

まずは、行動してみることのほうが、重要なのだということを
示唆しているのではないだろうか。






綿密な計画を立てて気持ち的に納得してから行動することよりも
行動にあわせて気持ちを修正する能力を、人間は身につけているらしい。


それはきっと、
どんなに辛いことがあったとしても、
それは過去になり、「そんなこともあったね、ツラさも必要だったんだね」
と、自分を納得させながら誰もが生きている事の証明なのだろう。


感情は行動を正当化できるように出来ているらしい。
生きていく為に。












人の為と書いて「偽り」



偽善でも同情でも見下しでも、なんでもいい。
ウソから始めたことを
ホンモノに昇華させていく力を人間は持っているのだ。


ウソから始めた行動(投資)によって、
投資したという事実が、
こんなに投資するくらいに、俺って復興して欲しいって願っているんだ…
という、錯覚にも似た思いを与えてくれるのだ。


このとき、ニセモノはホンモノに変わる。

行動は、感情を連れてきてくれるのだ。









人の気持ちなんて常に浮遊していて、
ひとところには停滞していない。



取引先にいきなり切られてしまうこともあるし、
恋人から前触れ無しにフラれてくしまうこともある。

あんなに安定してのに、どうして…
と思っても仕方が無い。


気持ちが動いてしまったのだから。



安定はあっても
固定された気持ちなど、皆無だ。












それは、逆に言うとチャンスも生むわけで。

現状では手に入らなそうな人だって、
あきらめる必要なんて、まったく無くて。


誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いているわけで。








だから本当に欲しいものであれば、
心変わりまで「待て」っていれば良い。











どれだけ愛し合い思い合っている同士だって、
気持ちが永遠に続く保証なんてどこにもない。




よく、「あきらめたらそこで終わり」
みたいな事が合言葉のように使われているが、その通りなのだろう。




気持ちは常に動くものであるから、動くのを待てばいいだけだ。

動くまで「待つ」事を諦めなければいいだけ。






ニセモノも長く続けば、陽の目を見えない脇役から
ホンモノに昇格する可能性が無いなんて、どうして言えようか。



大逆転は、待つという痛みの代償としてのみ
得られる結果になるだろう。







どうしても手に入れたいものを手にするためには
「待つ」ことと、「偽りを演じている自分」に耐えること。


いずれも忍耐力が必要なのかもしれない。





人の心は、常に流れている。







☆☆






ちなみに蛇足だが、
「なにぬねの」を語尾に付けると
女性はモテる、らしい。






あれ欲しい→あれ欲しいなぁ


お手洗い行ってくる→お手洗い行ってくるねっ


私、リラックマ好き→私、リラックマ好きなの〜







恐らく不思議と男性が途切れない女性は、
こういう事が飲み会や合コンなどで
ナチュラルに出来ている人が多いのではないでしょうか



ツボを自然体で心得ているからだと推測される。








で、こういうある種のブリっ子がなされるのは需要があるから。




供給されるものは必ず需要があるから、与えようとするものだ。
これは資本経済の基礎だ。



それはきっと、男女関係にも適応できるはず。





つまり、ブリっ子はちょっとね…なんて言っている男性であっても、
ある程度のブリっ子を求めているということなのではないだろうか。



かわいくあってくれる女性を求めているのではないだろうか。
だから、モテる女性は、自分がぶりっ子を演じることを
ナチュラルに演じているし、ぶりっ子に抵抗が少ないのではないだろうか。








選ばれる(購入される)には、選択者(購入する側)の
ニーズに合わせたモノを提供するのは必然だ。







モテる人というのは、その人自身が輝いていることはもちろんだけれど、
求められている姿、
相手の持っているニーズに自分を適応させる事ができる、
演技派の人の事を言うのかも知れない。