自分の為にレベルを下げる


ある学校の先生が
主任から教頭という地位への昇進が決まっていたけれど
管理職になれる器じゃないから
自分から昇進を断る。


自分が潰れないために、あえてレベルを下げる…




というような


自己保身のためのレベル下げ、
という話題も面白いのかもしれないけれど
モンスターペアレントについて言いたいことだってある)
そうじゃなくて、コミュニケーションにおけるレベルを下げるのは
なぜなのか?について、
ちょっと綴ってみました。






















「お顔アッチッチだね」

「はいはい、ママでしゅよ〜」

「まぁ良い子ちゃんでちゅね〜」




いわゆる「赤ちゃん言葉」と呼ばれるものに
嫌悪感を覚えている人が
若い世代を中心に居るらしい。




弁慶の泣き所、というように
どんなにコワモテの頑固親父も
会社では眉間にしわ寄せてばかりの会社経営者であっても
子供や孫の前では、表情を崩し、
惜しみのない赤ちゃん言葉で赤ちゃんに接している、というのに。


その人たちよりは赤ちゃんと都市の近い世代の方が
嫌悪感を覚えるというのは、なぜなのだろうか?











赤ちゃん言葉に嫌悪感を覚えてしまう理由としては



恥ずかしい
こんな言葉使いをしている自分は想像したくない
みっともない


というような理由が多数を占める。




そう、この「恥ずかしい」というのがポイントなのだと思う。
そして、赤ちゃん言葉を使うのは「誰の為」なのかということも重要なカギだ。




赤ちゃん言葉を使うことは
赤ちゃんを愛したい、愛されたい、という気持ちがあれば
ごくごく自然と発せられる言葉なんだと思う。











若者が赤ちゃん言葉を使いたくない理由は
「自分」が恥ずかしい思いをしたくないからだ。


自分のプライドを守りたい、自分というキャラは変えないよ!
という思いが強いと思われる。



それに対して
年配の人が赤ちゃん言葉を使うのは
赤ちゃんを中心に考えているからだ。


それは、
赤ちゃんに”自分の事を伝えたい””伝わって私の愛を理解して欲しい”

という赤ちゃんが理解して反応するために、赤ちゃん言葉を使っているのだ。






つまり、自分の事を伝えたいから
あえて、自分の方から赤ちゃんと同じ目線にまで
レベルを下げてコミュニケーションをしようとしているのだ。


コミュニケーションを計りたいから
年配者の方から赤ちゃんのレベルまで、言葉のレベルを
落として、なんとか意志の疎通をしたいという思いから
あえて、レベルを下げて接しているのである。





このことは、何も赤ちゃんに対してだけではない。



優秀な上司や経営者は、自分の意志や思いを伝えるために
部下が理解できるレベルにまで話を落とし、噛み砕いて伝えてくれる。



この、相手が理解できるであろうレベルまで降りるというのは
もちろん部下のためではあるけれど、それ以上に
自分が言いたい事を部下に伝えるために、部下のレベルまで降りて伝えるのである。



自分の知識をヒケラかすように難しい専門用語を使って
偉そうに自己満足的なものいいで部下に理解させるよりは
相手が理解できるであろう場所まで降りて噛み砕いて
伝えるほうがお互いにとって有益であることを
優秀な人ほど知っているのである。











もうちょっとわかりやすいのは
こんなケースだろう。


あなたが学校の先生になり、
小学一年生の担任になったとします。


最初の授業で、自己紹介をする時に
黒板に自分の名前を書きますね?


その時に、あなたは自分の名前を漢字で書くことはしないで
全部ひらがなで書くのではないでしょうか?


これが例えば高校一年生だったら
全て漢字で自分の名前を黒板に書くのではないでしょうか。



そうですね。
小学一年生に正しく伝えて、自分を理解してもらうために
ひらがなを使わないと伝わりませんよね。



なぜなら、小学一年生は漢字が分からないから。
分からないもので伝えようとするのは時間が掛かるから
小学生でも理解できるであろう、ひらがなを使って
どうにか児童に自分の名前を覚えてもらいたい!という心理が働いて
漢字ではなく、ひらがなを使うのではないだろうか。




つまり



ひらがなを使う=生徒が理解する

ためじゃなく


自分が生徒に理解してもらうために、
ひらがなを使うのである。



相手のレベルに合わせるというのは
相手の為というよりは、
自分を理解してもらいたい、自分を伝えたいという
自分側にとってのメリットを考慮しての行動なのだ。






赤ちゃん言葉を大人が使うのは、
赤ちゃんが喜ぶからではなく、
大人側が、大人たちの意志や思いを伝えたいという動機から
使っているのである。

決して、赤ちゃんが赤ちゃん言葉を期待しているから
という理痛ではなく、
あくまで大人たちのコミュニケーションをしたい、という都合で
使われているのである。




時には、プライドを捨てて
自分のほうから相手のレベルや世界にまで自分のレベルを下げて
交流を計ってみる。


そうすることで、今まで見逃してきたモノが見つかるかもしれない。




赤ちゃん言葉は自我の為の退行なのである。
(自分側が得をするからという理由で相手の場所までレベルを下げること)