べすとふれんど












「世界で一番に幸せになってほしい」













って西野カナさんの歌詞にもあるけど、女性同士の関係性って本当に
独特だなぁって思う。























最も如実だなぁと思う場面は、



結婚式の友人代表のスピーチで
(花嫁のことを)幸せにしなかったら大親友である私が、
絶対に許さないですから!!





みたいな言葉が出てくるのは
(一応、男性が女性を幸せにするみたいな文化の日本であったとしても)
男同士では相手の幸せの責任までも、持てない気がする。
















男性がダイバーシティ(多様性)を認め合って
仲を深化させている傾向があるのに対し女性は




同じ、同質、似通ってる、近しい、


そういった”自分の側”にいる人、つまり
同じような感覚や価値観を共有しあって認め合って
時間と空間を共有している傾向があるように思う。





同じ部分、似ている価値観で集まって仲良くする。
似ていて自分と同じ、だからこそ
自分の分身に近い意識を持っていて、
親友の幸せを本当に自分の幸せのように感じるのだろう















このように
女性が女性同士における半同一化や境界線の曖昧さ、
本当に相手の感情が自分の感情であるかのような
近さ、物理的にも心理的にも、かなり神話状態になるのは

恐らく、男性が猟にいっているあいだ、
何家族かが集まって寝食を共にしていたからなのだろう。



男性が居ない間に他の家族の女性と仲良くして、
自分の生活、自分が所属しているコミュニティーの和を保って、
生きていかなければならなかった名残なのだろう。








和を保つには個性よりも協調性、つまり
違う要素よりも同じものを(自分を抑えてでも)
共有していかなければならなかったのだろう。








そこから、女性は同じもの、似た要素で集合しあい、
自分に近い人、近いからこそ自分の事のように
幸せにしなかったら私が許さないって言う言葉が出てくるのではないだろうか。
















女性同士の友情は
ある種の打算さがあり、
嫌い同士であってもニコニコしあうような
灰色の世界であり、男が出来れば簡単に優先順位が
入れ替わったしまう確率の高い脆弱性を持っている。





だからこそ、女性同士がホンモノの友情を結んだときには
ものすごい絆を生むのだろう。



それこそ、一生独身でも老後は一緒に暮らそうね、のように
自分の底を隠さずに、全てをサラケだして共有できるのだろう。












嬉しいときは自分の事みたいに喜んでくれて
ダメな時はちゃんと叱ってくれる存在




こういう親和性は女性特有のものなんだろうなぁ
男同士だったら、ちょっとむさい気がするw


けれども、深い深い場所でのつながりは
羨ましいほかに何ものでもない。