幸せな仕合わせ

成功とは、自分が出来ることで相手に影響を与えること。







自分が成したこと(思考、行動)に一人でも多くの人が反応して賛同してくれ、
共感したり影響されたりしました!という声を得ることが成功であるような気がしている。







それはつまり、自分が世界に対して何かを与えているという自己効力感を持つことであり、
自己効力感を感じている人ほど、自分を幸せだと思えているのではないだろうか。




自己効力感を感じられる人ほど、
恐らくは幸せを感じることが出来るのだろう。










自己効力感の影響力の指標は



人数×深さ 


という公式が成り立つかもしれない。





どれだけたくさんの人に反応を得られるような事を成すよりも、
たった一人、影響を与えたいと思える人の人生に深く寄与できるなら、
それもまた大きな成功といえるだろう。






仕合せは、良くも悪くもそういうなりゆきであること。
仕合せの先に幸せがまっていたとしたら
人生は素晴らしいものになるのだろう。









縦の糸はあなた
横の糸はわたし


織り成す布はいつか誰かの傷を癒すかもしれない


中島みゆき・糸)




僕のした単純作業が
この世界を回り回って
まだ出会ったことの無い人の笑い声を作っていく

そんな些細な生きがいが日常に彩を加える


ミスターチルドレン・彩り)







この二つの歌詞も示唆しているように、
人間は、誰かの為に何かを出来ている自分を感じていたい生き物なんだ。







今関わっている人だけでなく、未来に会うべき人、
間接的にしか出会わなくても、



その人たちを自分が支えているんだっていう


効力感、重要感を感じていないと、
自分の生に不安を覚えてしまうのだ。






常に自分はここにいて誰かの役に立っているんだということを
周りにも、そして誰よりも自分にアピールしていかなければ
心が不安定になってしまい、息苦しくなってしまうのだ。


自分で自分の価値を感じるには他者の評価、他者からの承認が
どうしても必要なのだ。




そうして、自分はこの世界、自分が関わっているコミュニティにおいて、
なにか影響力を与えている、貢献している、存在意義があるんだって
思える人ほど幸せを感じているのだ。












この、自分は何かに影響を与えている支えている、という思いが
自分を支えることを「自己重要感」と言うそうです。




人は誰でも、認めてもらいたい。
だから頑張るし、評価を得たいと願います。



自分という存在が重要であると感じたいんです。



みんなが満たしたいと願う欲を、
満たしてもらう側ではなく、満たす側になる。
そうすると、不思議に影響力が出てくるんですね。












情けは人の為ならず、という言葉がありますが
結構、核心を付いた言葉なのだ。



つまり、相手を満たそうとすること、相手が満たされた姿を見ることで、
自分が満たされていく。




そう、自分が影響を与えて喜んでくれる人がいることで
自分も慶ぶことが出来るのだ。



相手が困っていたら相手の困りを改善することで
相手を喜ばせたいと思うのと同時に、
解決した自分の力(影響力)を感じれるからこそ、人は人と関わることをやめないのだろう。





なにも人は利己的な存在などと古びれた言葉を放つつもりはなく、
ただ誤解を恐れずに言えば、人は人をお互いに上手に利用しながら、
自分の存在感(効力感、重要感)を感じて生きているのだ。




だから、人と大きく関われている人のほうが
相対的には幸せを感じながら生きれている人が多いのではないだろうか。




自己効力感というのは自己重要感、つまり
自分の存在が必要なものだと感じられるときに満たされる欲求なのだ。











人間は未来を考える唯一の動物です。
今を生きる必死さだけでは、自分を支えられない。
未来でも、しっかりとした何らかの存在意義を持っているであろう自分を
創造しなければ、今の自分を支えていけないのだ。







育児不安と一口にいいますが、その中身を分析しますと、
子供や育児についての懸念や不安はごく一部で、
それ以上に育児だけしている自分の現在と将来についての不安や焦燥、
不満の方がずっと多いのです。




親としての責任に縛られる、親ではない自分の生き方も確立したいができなくて焦る、
友人と会う機会がなくなった、自分の用事ができない、ものごとが楽しめなくなった、
などです。



未来を見るからこそ、今に全てをかけてイイのかどうか不安になる。
母親という直線上には、女性として生きる道と必ずしも繋がっていないことが多い。
また、コースチェンジをしたりゼロからはじめなければならなくなってしまう



未来の為に生きていくんだけど、
未来の為に今を完全には楽しめない。



なんとも不思議な感じだ。




未来の為に必死で今を生きているのに
その未来の為に今を犠牲にしている。








今という時間だけの自分だけでは
人間は満足できないのかもしれない。
自分を支えられないのかもしれない。





未来にも自分が、何か影響を与えている姿を想像しなければ
自己重要感の不足によって、現実に押しつぶされてしまうのかもしれない。









誰かを温めうるかもしれない自分。
誰かを笑顔に出来る自分。






そういう、なんというか現在という時間軸以外にも
誰かに影響を与えているであろう自分、
未来にも影響力がある自分を創造していないと
自分を支えきれないのかもしれない。




誰かの為に何かを出来る自分を感じていなければ、
人間は今を踏みしめられない。


だから、人は人を求める気持ちは止まないし
人は誰もが一人では生きていけないのだろう。




誰かに証明証をもらいつづけなければ、
自分の存在が不安で不安で仕方ないんだ。



だとしたら、
根源的な存在に対する不安は、
生きていくための最大の材料になるのだろう。






不安なのは、あなただけじゃない。
不安だからこそ、僕達は誰かを求め、求め合うのだ。








寂しさも不安も、豊かになる為に
必要な感情なんだ。



そんな感情を持っている自分を責めるのは、やめて欲しい。






時に傷つき絶望を味あわせてしまうかもしれないけれど、
見方と使い方を少し変えるだけで、
豊かな人生を送る、それ以上のない材料になるのだから。





マイナス感情を感じる自分を責めるのは間違っている。
生きている証を否定していては、
生きるのはツラくなるだけだ。