らしさ、の罪悪感

男性らしさ、女性らしさに縛られているとの同時に、
自覚していない部分で、無意識に「らしさ」を期待しているって
分かった。








夫が妻に求める女性らしさを妻が持っていないって、生活したり子育てを
しているうちに気づいてしまったとき、夫以上に、妻のほうが
落胆しているんだって。








女性は、求められているであろう女性らしさを自身が
持っていないって知った時に、女性らしさが足りない自分に
男性の考えでは到底及ばないほどの落胆を感じているのだろう。
社会からの女性に期待する女性らしさの重圧は男らしさの比じゃない。








男性なんか、収入が良かったり地位が高かったりリーダーシップが
あったりっていう、極端に言えば自分だけが
幸せになれる能力を磨いていけば、男性らしさにつながる。
けれども女性は違う。











優しく居なさい、愛嬌よくいなさい、男に負けてあげなさい、
良妻賢母でありなさい、っていう具合に、
自分の能力を伸ばしたり
自分の幸せを考えると、非難されたりする。
女性は奥ゆかしく居なさいってコトなのでしょう。






(自分を犠牲にして)誰かを幸せにするのが女性らしさでしょ?
とでも、言わんばかりに強制的に犠牲を払いなさいって言う雰囲気が
漂っている。












問題なのは、社会が勝手に期待している女性らしさを
持てない人が、なぜか罪悪感を感じてしまっているところ。
女性性としての役割はあるのかもしれないが、
女性らしさにまで、何で応えなきゃいけないのか、不思議で仕方ない