おひとりさま、楽しめてる??
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朝の忙しい時間に保育園に送っていくと
いつも親と離れるのをグズる子供たち。
15分以上メールの返信が無いと嫌われている、
ハブかれていると思ってしまい、
返信の催促の電話をする若者たち。
恐らく
”誰かと繋がっている”
という根本的な安心感が欠如しているために
起こってしまう現象なのでしょう。
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メールが返ってこなくて
不安になるのは分からないでもないけど
相手が常に携帯を手にしているわけじゃないし
返信できる状態であるわけでもない。
相手にだって都合がある。
いや、そんなことは若者も頭の中では
理解しているのだろう。
それでも不安で不安でしかないだろう。
世界の誰かとつながりを常に
感じていないと不安なんだ。
つながりを感じられないからこそ
常に電波というメールを使って、
つながっている感覚を求めるのだろう。
本当の繋がりは、形になって目に見えるもので繋がって無くても
それでも相手と繋がっていると思えることなのに…。
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それは、
きっと両親(特にお母さん)との関係がダメだったのだろう。
離れていても、心の中にお母さんが見守ってくれている
という安心感が育まれていないために
形あるモノでしか繋がっていることを確認できないんだ。
現に、
子供が四六時中、離してはくれずトイレのもお風呂にも
入る時間も確保できないと言うお母さんが本当に増えているそうだ。
”お母さんの姿”という
目に見えて確認できるものが無くなってしまうと
世界との繋がりを感じることが出来ずに不安になってしまうのでしょう。
基本的信頼感を愛着期に身につけさせてもらえなかった
子供は、「自分は世界と繋がっているの?」という
漠然とした自分の存在感の不安定さに怯えながら生きているんだ。
だから存在と繋がりが分かりやすく手に入るメールまで
無視されたって感じてしまったら、
世界から見捨てられた拒否された、って思ってしまうのは
決して被害妄想なんかじゃないってのが、わかりますよね。
メールって単なるコミュニケーションの道具だけでなく
自分が存在を認めてもらえているっていう安心感を与えてくれる
ものでもあるんですよね。きっと。。
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ある保育園で早朝の定番の風景がある。
お母さんが幼稚園に送って
子供がお母さんと離れたくないってグズる。
一見、すぐに保育園に入っていってクラスの子たちと遊ぶ子よりも
お母さんを強く求めていて、愛するお母さんとの別れが寂しいからグズっている
という見方をしてしまいがちだが、実はそうではない。
本当にお母さんと信頼関係が結べている子供は
さっと保育園のお友達との遊びに興じる子だ。
お母さんとつながっている、という安心感が育っていないから
余計につながりたくてグズるのである。
本当に心で繋がっていて、お母さんが心の中に居る子供は
グズることなく笑顔で手を振って保育士さんの元へ掛けていくだろう。
一緒に居なくても、いつもお母さんと一緒なんだ!だから大丈夫!!
という心のサポーターが、ちゃーんと見守っててくれることがわかっているから
安心して、保育園で遊ぶことが出来る。
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本当に心が強いと言われる人は、きっと
ある程度の寂しさを自分で処理できる人のことだ。
寂しいなぁって感じ、ちょっと落ち込んだとしても
”誰もソバにいないけれど、誰かが自分のソバ(心の中)にいてくれる”
っていう見えないサポーターが心にいる人がいるからこそ
自分で寂しさ処理して、自分だけの時間を大切にすることができる。
自分だけの時間を大切に出来る人であれば
勉強であろうと仕事であろうとスポーツであろうと、
成長も加速度的であると思います。
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寂しさと言う永遠の敵を倒すために
見えないつながり、という武器をどれだけ携えて進んでいけるか。
それが人生を豊かさを大いに左右するファクターであると
言えるのではないだろうか。
基本的信頼感を得られなかった人は
身体が成長しようとも常に世界とのつながりを感じることが出来ない。
だからこそ常にメールや電話などを使って相手を束縛し、つながりがあるかのように
関わっていたいと思うのだ。
だから15分もすると、つながっていない感覚に耐えられなくなってしまうのだ。
便利の世界との代償は心のつながりなのかもしれない。