信じて始まる

もっと甘えてもいいよ、
簡単に離れていかないから大丈夫だよ。






こんな風に言われれば心が震える。
特に心から人を信じたことの無い人間にとっては
まさに救いの言葉だ。






そうだ、この人になら、素直にダメな自分を出してもいいのかもしれない
って思う。自分が変わるかもしれないって思う。


それでも、やっぱりダメだ。
人なんて簡単に信じられない。







自分みたいなダメな人間を信じ込ませて
絶望にたたき落とすために、
自分を騙して楽しもうとしているのではないか
そんな風に思ってしまう。







自分は、とっても残念な人間なのだ。






自分なんか、愛される理由がない。
愛される理由の無い人間に近寄ってくるのは
何か裏があるのではないかって
常に警戒してしまい、相手が真実の愛を与えてくれようとしているのに
それを受け取れない。拒んでしまうのだ。




そうやって、いつまでも自分に価値がないって思っているうちは
相手がどれだけ思っていても、愛を受け取ることができない。





そして、さらに孤独と空しさが深まっていくのだ。。






愛されないことが問題なのではなく、
愛されていることが実感できていないことが問題なのだ。



相手の愛をうまく受け取れない自分の方に問題がある。
だとしたら、愛を欲しいと思うならまずは、
自分が変わらなきゃいけない。




何をどう変えるのか、といえば、
人の愛を信じ、感じられるようになることだ。










自分を信じるって事は
自分という人間に、ある程度は愛される価値があるのだという事を
自分で自信を持つことだ。




自分に価値があるのだと
自分が信じていないと、他人が敵に見えてしまいます。







心の中では信じたくてたまらないのに
信頼することを恐れているのは、
誰をどんな状況で信頼したら良いのかがわからないからです。


周りは自分を信用させておいて裏切るという
ゲームをしているのではないか?
という人間は全て自分に不具合を与える存在なのではないか、という
疑念が、どうしても拭い去れないのだ。






価値のない自分に近寄ってくるのは
何の目的があるのだろう?



騙してお金を取ろうとしているのか
信用したところで裏切るというゲームの標的にされたのか



という疑いから入ってしまい
友情も愛情もウソに聞こえる、心にしみてこないのです。 



人が親切にしてくれると
「私にどうして欲しいのだろう?何をたくらんでいるのだろう?」
と、まず考えてしまう。




こういう流れになってしまうので、
人を信じるには、まずはある程度、
自分は価値のある存在なんだという事を
自分で信じてあげることが大切なのです。











そうは言っても、
人を信じることは裏切られる、自分に良くないことが起こるものだ、
という過去の経験から来る価値観を持っている人にしてみれば
人を信じることから全てが始まっていくとわかっていても
それは極めて高いハードルでしかない。




もし仮に、信頼に値する人に出会ったとしても
仲良くなるにつれ、なぜか不安になっていきます。

信頼感のある関係を築きはじめたとしても、
それは不意に終わりを告げます。





それは、信頼すればするほど
裏切られたときのダメージが大きいことを知っているからだ。


愛すれば愛するほど、
傷つくのではないかと思ってしまうから。





本当は、信頼というのは少しずつお互いの間で積み重ねていくものなのに


すぐに親密になって完全に信頼しあえる、
夢のような友情を望んでばかりいます。


この人は完全に信頼できる!100%信頼できる!!
そんな風に、信じるか信じないか、という
極端なことになってしまうこともあります。



少しずつ信頼を重ねるということは
少しずつの場面が多くなるので
その場面の度に、裏切られる恐怖と闘うのが耐えられないのだ。



だとしたら、最初から信頼しないか
一気に最初から全幅の信頼を置くか、という方法を取ってしまうのです。



人間関係は、白か黒かなんて、簡単に割り切れるものではなく
もっとフワフワしているものなのに、
全く信頼しない、完璧に信頼するのどちらかに割れてしまうのは
裏切られるかも知れない不安に耐えられないんですよね。


裏切られて自尊心が傷つくことが耐えられない。






人を信じることっていうのは実は
相手が信頼できる人物かどうかということよりも
自分が相手を信じきるだけの勇気があるかどうかが重要なんだ。


それはつまり、その人に裏切られても
自分が深く傷つかない程度の自尊心を持っている自分であるかどうか、
という事がポイントだ。









自分自身を信頼しない限り、
人を信頼することはできません。


信頼が裏切られて傷つくことを恐れているからです。




けれども、人を信じて人から温かい感情を与えてもらいながら生きたいと
思っているのも事実だ。






だとしたら、相手を信じきって裏切られたとしても
それでも自分で自分で保てるだけの自尊心を身につけることだ。


相手の評価によって傷つかない、
自分で自分を最低限は満たして上げられるような自尊心が。



自分だけで自分を満たして上げられる自尊心があれば
裏切られることに対しての怖さも軽減するから
相手を思いっきり信頼することができるし
相手の評価によってそんなにブレない自分で接することができれば
相手にも好意を持ってもらいやすい。




人は自然体の相手には自然体で
不自然な人には不自然に接してしまうものなのだ。






信じることから全てが始める。

人を信じたい。
その為には自分には価値があることを自分で自分を信じる。




自分の価値を信じることができれば
卑屈になることなく相手と接することができるから
誰かからの温かな生きるパワーをもらえるかもしれない。



そしていつかは
言葉で言ってもらわなくても態度で
この人は自分から離れていかないなぁ
という安心感を受け取れる自分でありたいと思う。


今はまだ、言葉にしてもらっても信じきれない段階だ。
それは相手が見捨てようとしているのではなく、
相手が大事にしてくれているというサインを
僕がうまくキャッチできないだけ。




相手の愛を受け取るには
何よりもまず、自分で自分を信じるという
自分との戦いから始まる。



全てのことは信じることから始まるのだ。