求められるままでいいの?


心が病む人は、
いい子、いい人である傾向が強いと言われている。

それは、

評価されるであろう行動を取る事で
自分の今の地位を確立してきた、けれど
本当の自分の姿とは、かけ離れていて
自分を偽り続けるのがツラくなってしまった、という時に


頭の中の評価されたい自分と
自分で無い自分で居るのは耐えれませんよ、
という心の声との葛藤が起きてしまうからである。


自分じゃない自分を生きるというのは
心底辛いものなのだろう。


自分にウソをつき続けているって事だから。


他人はいくらでもだますことはできるけれど
自分の心だけはウソをついても自分では騙すことができないからだ。










自分を置き去りにして他人の為にばかり動いて
他人からの評価に自分の価値判断を委ねてばかりいると、
いつしか無力感を抱くようになってしまう。


なぜなら、外側からの評価に屈しない
絶対的に自分を守ってくる自分、という自分で意識する自分が育たないからです。



人間には意識と言うものがあり、
意識は自分でコントロールできるはずのものです。

ところがコントロールを奪われてしまうことは、
人生に自分がいないということになり、
無力感がやる気を奪ってしまうこともあります。



そうして自分がいない人生を生きているとあるとき
自分はなんなんだ、なんて無価値なんだ!と思ってしまう。




じゃあ、自分の事は自分で評価して
他人の言うことなんて無視すればいいのでは??
と思われるかもしれませんが、他人の評価だけが
全ての評価軸だった人にとって、”自分”を持つことは
そんなに容易なことではありません。



味の無いガムをいつまでも噛んでいたら
不快感を覚えるように

自分の味(個性・意識)を全く感じない
自分で過ごしていたら、自分をどんどん嫌いになっていってしまう。





それなら、自分を取り戻して自分を意識して生活しようとするよりも
他人の評価に踊らされている方が、自分の中の自分が育っていないことから
目を背けることができるから楽なのです。


他人の必要にあわせて生きるので、自分のしたいことがわからなくなり、
自分が何かを決めなければならないときにはヒドく時間がかかります。
何もしないか、何をしたらしたら良いかを人に言ってもらうか、
自分の意思に反することをさせられて人生が台無しになってしまった、
と考えるほうが楽なのです。






求められている、期待されている自分になろう、
という動機が最も強い場合、求められる自分でなくなったらどうなるのだろう?
求められなくても存在してしまっている自分の求められない自分の部分は
どう処理すれば良いのか?




などと、


自己不在を感じてしまう。
自分がいないことなど感じたくないから
認められる自分であり続けようとする。
なりたい自分なんかないから、どう自分を保てば良いのか分からなくなるのがいやだから
相手がなってほしいであろう自分を演じることが安心。



ずっとそうやって自分がいない中で生きてきたので
自分で考えること、意識を持つこと自体が
いつの間にか苦痛になってしまっているのです。



自己不在、自分の意思・感情の無い人生を
続けていることだって不快感と空しさで一杯になってしまう。



空しさが続いていくと
自尊心がボロボロになり、

なんで生きているんだろう?
なんのために存在しているのだろう?


と、思いつめてしまい
精神が蝕まれていってしまう。








他人の評価に左右されずに
自分で自分の人生をコントロールしていくには
なんといっても、自分で満たしてあげる自分を作り直していくことが肝要だ。





他人に満たしてもらう前に
ある程度は、自分で自分を保てるくらいの
誰が評価してくれなくても、自分は自分で大丈夫なんだという
自己肯定感が必要だ。




他者に評価されて満たされたいと思うことよりもまずはじめに
たとえ、今いる場所で誰にも認めてられないと感じたとしても
それでも、そんな自分でもまぁしょうがないかぁと
自分で自分を満たしてあげるくらいの、最低ラインの自尊心というか心の居場所は
やっぱり、誰にも評価されていなくても満ちていないと
どんどん自分の価値がわからなくなって、自分を傷つけてしまうことになる。
他人に左右されない絶対値としての自尊心を持つこと、
インナーマザーが満たされて初めて、
他人に評価されるための行動が出来るのだと思う。
だって、他人の評価は常には期待できるものではないし
評価してくれる人はいつまでもそばにいてくれるとも限らない。
もしいなくなったら、また見つかるまでの間は、
心にポッカリと穴があいてしまうでしょう。








真面目に良い子、イイ人をしていれば
なんとなくプラスの評価はもらえるかもしれないけれど
その行動が、自分を犠牲にしてでも
評価してもらいたい、評価してもらわないと、存在している意味がわからなくなる…
というようなものであれば、無駄な気遣い気配りは止めて
自分を自分で認めてあげられる自分で再構築する時間にあてるべきだ。


具体的には、自分が自然体でありのまま、損得感情無しで
向き合える場所や人と一緒の時間を多く設けることだ。



イイ人で居なくても、温かく存在感を感じられるような
環境・仲間があるっていうことが
自分自身への自信となり、自己肯定感にも繋がっていくだろう。