強すぎる自己愛


自己愛が強い人は
満たされない傾向が強い。

それが大人ならば、もっと。

満たされていないからこそ
余計に自己愛を満たそうと
周りの人を満たすための道具としか見えなくなってしまい
良好な人間関係を築くことができなくなる。



そうすると、自己愛の傾向がさらに強くなって…
















例えば、自己愛が満たされていない母親が居るとする。





子供や恋人は自分を満たしてくれる、つまり
外部の存在が自分の思い通りになっている期間は自己愛を満たしてくれる
対象があるからいいけれど、
根本的な自己を自分で満たしてあげることができていないから
自己愛を満たすために思い通りに動かしていた子供がちょっとでも反抗して
自分の思い通りにならなくなったり離れていってしまったりすると
たちまち不安になってしまう。



これらは、みんな自分の外側にあるものです。
一時は気分を良くしてくれますが、効果はすぐなくなるので、
何度も繰り返したり頻度を高めたりする必要が出てきます。
そして、それらに自分の生活を支配されて日常がままならなくなります。



ドラッグやアルコール、仕事に、人に、セックスなどでも同じです。

救いを求め、幼い頃に得られず、
今も得られていない愛情をとりもどそうとするのです。


自己愛が満たしていない自分を忘れるために
これらのことに依存して満たされていない自分という現実から
一時的に逃れているだけなのです。


自分自身から逃げ出すのに精一杯で自分の内側にある空虚さを埋める
健康的な方法を見つけることができません。




何か外部要因によってしか満たしてあげれていない自己愛だから
外部からの刺激がなくなってしまったらポッカリと空しい気持ちになってしまいます。

本当は、寂しくない程度に自己愛を満たしてあげるのは
自分自身であるべきなのですが、
自分が自己愛を強く求めてしまう人間だって
自分が認めない限り、
人間関係における上手くいかない付き合い方を変えることが
できない。
そうなると、いつまでも誰かや何かから満たしてもらわないと
満足感が得られないし、その何かが差って知ってしまった時には
空虚感しか残らず、もっと自己愛を求めてしまうと言う悪循環だ。



私達は他人の評価無しに社会的な価値を推し量ることが難しいものだけど
我思う、ゆえに我あり。というくらいの安心感は自分で自分を安定させてあげなければ
いけない











それでも、自己愛を強く求めてしまう自分を
恥ずかしいと思う必要は全く無い。


自分が小さい頃の環境から始まって、
ちょっとずつ選択肢を自分で選べるようになってから、
学び吸収してきたきた生き方には深い人生の意味が込められている。



だから変えていくのは大変な作業だ。
簡単には変わらない。




でも、辛くて苦しくても自分を支えてきて生き方、
つまり過去の捉え方なんて
変わらないことに気づけてば、

それが自己受容だから、変わる。







必死で生きてきた自分が生きるためには上手くない生き方だって
そのときには必要だったんだって、そう思えれば
自分で自分の過去を否定することはなくなるでしょう。















そして、やることがボンヤリとでも見えてくれば
しっかり学んで取り入れるものは取り入れればいいだけだ。






人は、自分の心さえしっかりと把握していれば、
現状がどんなに過酷でも、
冷静沈着でいられるものです。


自分は存在している価値があるんだって漠然と感じられて
ここにいる目標は何であるのか、という
自分の心がわかっていれば
大抵の環境には順応していけるのです。







だから
辛くて空しくて自分を否定してしまうような感覚を持ったとしても
満たされていないという現実をしっかり受け止める。
そして、満たされないものは、外部にあるもので
一時しのぎ的に埋めていても寂しくなるだけだから
自分で自分を最低限、満たしてあげられるくらいは
自分を愛してあげて欲しい。





自分が最低限満たされてこそ人は初めて、
相手に優しくすることができる。



優しく出来れば、交友関係だって安定してきて、
自尊心が満たされてきて
自己愛をそれほど求めなくても、
自分で自分を満たすことができるようになるはずだから。






誰にも評価されなくても
人間は、自分で自分を満たしてあげられる強さを持っているのだ。