上原美優 自殺 妄想的推察

数ヶ月前に、タレントの
上原美優さんが自殺したニュースがあった。
















役割期待の不具合とか演技性パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害
だったのかもしれない。



あるいはACだったのかもしれない。
共依存症だったのかもしれない。
非定型うつ病だったのかもしれない。





なぜ彼女が自殺なんか…と思った人も多いだろう。
あんなに自分の弱味を笑いに出来るという
強さを持っている、明るい彼女がなぜ…って
思ってしまうのも無理は無い。





残念ながら当たり前だけど
人がどれだけ、どんなことを抱えながら生きているかなんて
画面越しにはわかりはしないし、
側にいたってわからないものだ。








必死に過去をネタにして、お金を生むネタとして美化してしまえば
過去の自分を肯定できると思ったのかもしれない。
けれども、世間に自分を晒しても、全く満たされることはなかった。
それで衝動的、あるいは計画的に、
もうだめだ、と思ったのだろう。







役割期待の不具合ならば
同棲していた彼との関係性に問題があったかもしれない。





妄想でしかないが
彼にとって、美優さんは芸能人が恋人だという事を
彼自身が誇示するために付き合っていたのかもしれない。
もちろん、好きという感情だってあっただろう。






ただ、あくまで彼の自尊心を満たすための
美優さんであって、芸能人であって
見た目も愛らしい美優さんを求めていたのかもしれない。




これは彼氏が美優さんに期待した役割であり
美優さんが彼氏に求めた役割は別にあったのかもしれない。







美優さんは、彼氏に芸能人とか容姿端麗な自分としてだけでなく
過去の辛かった実家での生活、苦しかったイジメの経験、
どんぞこから芸能界を目指し汚水をすすった自分、などの
もっとパーソナルな部分の、あるがままの美優さん自身を受け止めて
欲しいという役割期待があったのかもしれない。





美優さんが、わかって欲しい部分の彼女の事を
しっかり受け止めている彼氏だったら
自殺したりなんかしなかったんじゃないかと思う。





この仮説では水島広子さんが提唱されている?
役割期待の不具合で考えてみました。




演技性パーソナリティだった仮定すると
心は全く満たされていない自分に気づかれたくないから
誇大な自己主張をして自分を
大きく見せようと必死だったのかもしれない。





貧乏エピソードを笑い話にできるくらいに
強い女という認知を世間にしてもらい、自分は強い存在だから
自分の過去だって晒して笑い話に出来るんだよ、すごいでしょ!
私のこと認めて!!、と。






でも実際は、その行動は彼女の心を満たすには至らなかった。
むしろ、本当に笑い話ということで認知され
扱われてしまったために


最も伝えたかった、
自分の寂しさとか自分をありのままに認めて欲しいとか
そういう大切な部分を伝えることの出来ない空しさが
襲っていたのかもしれない。






その空しさが衝動的な行動につながりやすい、
境界性パーソナリティ障害だったのかもしれない。
あるいは非定型うつの症状の一つの衝動性が
ある瞬間に表出したのかもしれない…。






もうそんなことは知る由も無いし
あくまで勝手な妄想であるのだが。。








テレビで惜しげもなくエピソードを披露しているくらいだから
周りの皆も、触れられたくない話題だとはまさか思わないし
ネタにしているのだから良い思い出なのだろう、
くらいにしか思わなかった。
そして、ネタのように扱って笑い話で終わってしまう。






本当は、辛かったね苦労したんだね、頑張ったね
と、ネタとしてではなく、ありのままの自分
丸ごと受け止めて欲しかったのかもしれない





本当は寂しかったし、もっと愛されたかった
もっとワガママも言いたかったし、誰かに甘えてみたかった




そういう気持ちを誰かにわかって欲しくて
芸能界に入ったのかもしれない。





それなのに、ネタとして扱われてしまって
本当に彼女が認めた欲しかった
つらかったエピソードとして、心から理解してくれる人に
めぐり合えなかったのだろう。





芸能界になら、
自分と同じような経験をしている人がいるかもしれないし
深い経験が溢れている人がたくさんいるから、
誰かに理解してもらえると思った。






けれども、残念ながらそれは叶わなかった。
視聴率と知名度を上げるための道具にしかならなかった。





確かに知名度は全国レベルだし
注目は浴びた。
成功のように思えるが、
彼女の求めているものは別にあったのだ。







期待をしていたんだ、彼女は。
理解者に出会え、過去の自分を許してあげられる瞬間が訪れることを。




だから余計に本人は傷ついてしまった。
本当は、過去に執着して、何一つ納得していない自分の心に
誰かに気づいて欲しかったのではないだろうか





自分は人様に
自分のツラさを笑い話にできるくらいに強くなったんだと
思えた瞬間もあったのかもしれないが、


それは自己欺瞞にすぎなくて、本当は過去に整理などついてなくて
誰かに慰めてもらいたい、頑張ってここまで来たね、認めて欲しかったのだろう…。





貧乏でイジメにもあっていたこと、
それを武器にして芸能界に入ってきたこと、




これらを加味すると、きっと
幼少期の環境で失ってしまった基本的信頼感の欠如から来る
埋められない空虚感、虚無感を必死に埋めようとしていたのだではないだろうか。





それは、アダルトチルドレンという概念にも
当てはまるのかもしれない。




親や家庭環境が苦しく
いつも親を助けるために、自分の事、自分の感情を抑えて殺して
良い子であろうと必死に自分をごまかしていた。





そうしているうちに本当の自分がどこにいるのか、
全く分からなくなってしまい、どうしようもない虚無感との
終わりの無い戦いが始まる。






埋めたく埋めたくて、モガいてモガいて
たとしても、埋まらないのだ。






それこそ芸能界にハイって注目を浴びようとも
満たされるレベルには程遠い状態なのだ。




満たされない自分を漠然と感じているて
それを埋めようと必死になって、これ以上ないくらい
私をわかって!とアピールしているのに
本当に認めて欲しい部分は受け容れてもらえない…





人によって耐性の違いはあるのかもしれないが
人間、満たされない自分をいつまでも抱えて
生きられるほど、強くないんだよねきっと。





どんなに外面を体裁を整えようとも
心の枯渇までは、誰も誤魔化すことは出来ない。




他人を誤魔化すことはできても
自分をだまし続けることはできないんだ。





自分にウソをつき、自分じゃない人の言葉をつかってみたところで
なーんにも満たされないし満足だって出来ない。




満たされない状態が続けば人は
衝動的な行動にでてしまう、自分のこみあげる衝動熱に
打ち勝つことはできなくなってしまうのだろう。






誰か、もっと深い部分で
美優さんの事を理解して受容して包んであげる人が
周りにいれば、衝動的な行動の最たる結果、自殺までには
至らなかったのではないでしょうか。



たった、ひとりでもいいから…。











初めてでした、これまでの日々、間違ってないと思えたこと。
陽だまりみたいなその笑顔、生きる意味を照らしてくれました。


福山雅治・最愛より)








こんな日々が手に入ると思っていたのかもしれない。