女性の真実を垣間見る

隣室のモーツアルト

隣室のモーツアルト








立子自身、
いくらか忸怩たる思いのある中古マンションのこの自宅にしても、
花梨は手放しで賞賛しうらやましがり、
独身女性の理想形とまで言ってくれた。



半分はお世辞と割り引いても、
それでも、悪い気がしない。



兄嫁の邦子が、立子のしらないところで、
ことあるごろに花梨に立子おばを見習えといっていたという話にも、
じわじわと心の深いところから喜びが沁み出してきた。
いずれにしても評価された喜びだった。



お世辞にすぎないと頭の片隅で自制心を働かせても、
なおもはみだしてしまう喜びがある。




ここ数年、敗者意識がまとわりついてはなれなかった。
他人に対して、ひがみっぽく、
ねたみっぽくなっていく自分が嫌でたまらない。



いやだという自覚があっても
他人への悪感情はわきあがってくる。





こんなはずではなかったと思うのだ。



こんな50歳を迎えるつもりはなかったのに、
どこでどう間違ってしまったのか。



50歳という年齢が、まるでトランプのジョーカーのように、
それを手元に近づけてしまった途端に
自分を囲む世界が違って見え出した。








今日まで、恋愛がひとつとして実らなかったのも、
職場の同期入社の女性が立子を差し置いて管理職に抜擢されたのも、
しかも彼女には夫も子もあり家庭的に恵まれているのも、
片や夫も子もいない立子が不本意ながら
中古の日当りの悪いマンションしか買えなかったのも、




何もかも、こんなはずではなかったにだ。

そのうらみ、つらみが濁ってうねる気持ちの底には、こうなったのは自分が原因ではなく、世の中や社会が悪いと、他人に責任を擦り付ける心理がうごめく。

40代半ば、までは失敗してもやり直せると思える気持ちの余裕があった。
他人は他人、自分は自分と割り切れるおおらかさもあったのだ。

こんな風に迎えた自分の50歳に立子はウンザリしていた。





ただそうなってみて、
あらためて周りを見渡してみると、
年齢と共に脂気が抜けて枯れていく人物というのは、
若い頃の立子が創造していたほど多くはなかった。

むしろ感情を隠す自制心や忍耐力が弱まり
他への嫉妬心が露骨になる人が多い。




中途半端な浅知恵と愛想笑いで世渡りしてきたサラリーマンが、
一番たちがわるい。





ところが、20年ぶりに再会した花梨は、そうした立子の、ひねくれてゆがんだ敗者意識を救い上げてくれたのだった。
勝者とまではいかないにしろ、立子のこれまでの50年の人生、生き方には、それなりに意義と価値があると言ってくれた。
うっとりとした尊敬と憧れのまなざしをそえて。










花梨は臆することなく隠すことせず言い放った

「ふうくんいかぎらず、
男の人の年齢とか肩書きとか学歴とかなんて、わたし、
ぜんぜんどうでもいいの、関心ないの。昔から。



大事なのは、どれだけ私をサポートして役にたってくれるかだけ。特に物質面でね。
精神面はそれほど重要じゃないの。どうせ話したって理解はできないもの、あの人たち。
ふうくんは住まいを提供してくれるし、ラーメン屋のマスターは、他のバイドをいくつか紹介してくれたし、それぞれ役にたってくれてるから、どっちも大切なわけ。」

男の人をそんな風に利用するのは、ちょっと考え物なんじゃないの?っていいたいんでしょう?でも、むこうだって喜んで私に利用されているわ。

おばさんは、もしかしたら男達をうまく使い分けできなくて、というかそれに失敗して、今日まで仕方なく独身で来たんじゃないの?




自分の敗者意識を、
そんなふうに他人から指摘されたのははじめてだった。




20代前半の数年で賢蔵を患い自宅療養を余儀なくされたとき、
すでに敗者意識をいやというほど味わい、
そこからどうにか脱出できて、
しゃにむに生活してきた20数年間は
健康でいられるだけで幸せだという謙虚さに貫かれ、
人生の勝敗などどうでもよかったはずなのに、
50歳を目の前にしたころから、にわかに自分と他人の成功、
不成功を比べるようになったのは、



いったい、なぜなのか。






加齢と共に人間が出来上がって、賢くもなり、やがて達観の境地が訪れるというのは、人間の拵えたオトギ話のひとつかもしれない。
もしくは願望なのだろう。






花梨ちゃんは、ふうくんのことは好きなの?

「好きか嫌いかってこと?まあ一応は好きよ、
ふうくんのこと。けど、それだけのこと。
おばさん、私ね。自慢じゃないけれど、
そうそう簡単に男に惚れ込まない性格なの。
本気で惚れ込んだほうが損だし負けだって、
こはちゃんと見通しているの。」










働きたくても職がない、と
いう人々があふれている今の世の中なのに、
花梨のまわりだけは寒々しい不況風ではなく、
なま温かい春風が包んでいるかのようだった。


仕事を選ばないことと、
知人から知人へのつてを最大限に活用していること
また誰にでも、何の苦もなくお世辞が言える口のうまさが
次々に職にありつける秘訣のようだった。