自己愛、補充型恋愛




自分が嬉しいから、幸せだから、
彼と会いたい、話したい、触れ合いたい、
そう思うのが、本当に良い恋愛だといいます。







一方、寂しいから満たされないから、
というような理由では

相手を思っていたとしても、それは
自分の心の欠けた部分を埋めようと
しているだけで、






本当に幸せにはなれない。







自己愛を満たすだけの恋愛では
真に幸福感を得ることは出来ないでしょう
 



だって、そうでしょう。





本当の恋愛は、離れていても幸せな気分が継続しますが
自己愛満たし型の恋愛は、一緒に居るときはいいのですが、
離れたとたんに、またすぐに寂しくなります。



この寂しくなる感情が、相手を好きなんだと
錯覚させてしまうのです。



ホンモノは、あったばかりで寂しくなっても
どこか心に温かさが残っているはずです。








結婚生活の役割分担でもそう。



家事育児に協力的でない夫は
稼いでいるという自負もあるだろうが
ようは、自己愛を満たすために、結婚し、
夫になり父親になり社会的立場を得ることで
自分の社会的価値を高めようとする。

だからこそ、
家事育児はおしつけてばかり、なのだ。




人間は愛する人のためなら、
いくらでも協力できるはずなのですから。





その夫の愛は、
外ではなく、自己愛を満足させるための
環境を整えようとしているだけで妻を
社会で認められるための道具くらいにしか
思ってないし子どもの世話だって、
いいところだけ横取りして、赤ちゃんを甘やかす自分がかわいいだけで、
育児の汚い部分は押し付けて
仕事が忙しいんだから、といって干渉しない。











自己愛欲求が強すぎると、
周りの人は誰も幸せになれない。




そして、その欲求は周りの人にとっては負担だから、
男性から離れていく。



そうすると、男性も思い通りに行かないから
怒ったり落ち込んだりして、関係性がさらにうまくいかなくなる。

結局、自己愛の強すぎる人は、
周りをも破壊していくのだろう。






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育児に非協力的な夫。





先日、ある人から「結婚して子どもを授かったのに、
夫は今までどおりの生活を変えようとしない。

育児も家事も妻にまかせっきり」という
夫婦の話を聴きました。




そのご主人は、
仕事から帰ってくるとすぐにゲーム機の前にすわってしまい
子どもをあやすでもなく、夫婦で会話するでもなく
TVゲームにばかり興じているのだそうです。







我が子に興味を示さない、優しくもできない夫をみて、妻は
「この人は子どもを愛していない」とみるかもしれません。





けれど、問題は夫婦の愛情にあると私は思います。
本当にいい恋愛をして結婚し、その愛情が持続していれば、
赤ちゃんが生まれたとき夫は妻と同じ気持ちで
育児ができるはずだからです。





人間は愛するために人なら、
いくらでも協力できるものです。






だから私は、
このような夫婦の「恋愛」の中身を問いたいのです。



本当に愛し合って結婚したのですか?と。




そして、子どもが生まれたことであらわになった「
夫婦の関係」の問題点を、
見直す必要があると思うのです。








自己愛から始まる恋愛。深めるのは夫婦の時間



愛情とは本来、相手を幸福にできることを自分の喜びとする気持ちです。
その一方で、人は「自分が愛されたい」「自分の気持ちを大事にしたい」という
自己愛の気持ちも持っています。




恋愛はしばしば「自己愛」からスタートします。
「この人のことを愛している」と思いながら、実際にはその人のことを
思いやるのではなく、「この人がいなくなったら私が寂しい、
私を喜ばせてくれる、私を気持ちよくしてくれるから好き」という気持ちがあるのです。
それが自己愛です。





自己愛がゼロという人間など、この世の中に存在しません。
けれど、結婚して何年もたつと、「自分が愛されたい」という気持ちは
少しずつ弱まってきます。




それは、根底にホンモノの愛情があったという証拠です。




赤ちゃんがいるのにゲームばかりしている夫にとって、
妻は自己愛を満たす存在にすぎなかったのかもしれません。
だから、妻が出産して子どものことで手一杯になってしまい
、自分を満足させてくれなくなってしまった途端、
愛する必要も育児に協力する必要もなくなってしまった、そういうことなのでしょう。