不安を感じたくない??

医療保険や死亡保険などの
保険に入って安心なのは、





何かが起きた時の保証があるときだ








残念ながら人間には
一定の確率で起きる不慮の事故を防ぐ力は無い












だとしたら、不慮の事故が起きた時に対する保障が
人々に安心を与えているといっても良い。








トラブルを0にするより
起きた時にどう対処するか、ということを
マニュアル化しておいたほうが良いとされる所以と一緒ですね







不安を感じたくない、怒りを感じたくない、
気分を落ち込ませたくない
といって、精神科に薬を求めて走る。








確かに国の基準で承認されているし
外国でも効果が出ている薬なのだから
それなりの効果はあるのかもしれない。






けれど、最近の事情を注視していると
人間として当たり前に感じる感情までも
薬によってコントロールしようとしているように見受けられる。







フラッシュバックなどの著しい重たい不安を感じないように
薬を飲むのではなく、もっと、日常的な
(ちょっとした仕事とか人間関係の)不安を
感じないようにするために服用しているような気がしてならない。









けれど、不安という「感情」ですよ?
人間が不安になるのは当たり前ですよね。
だって、未来の出来事が全てうまくいくように人生は
設定されていないから。








だからこそ、不安は避けられない感情。







虐待とかDVなど、深く重たい経験から来る不安を
薬で和らげる効果はあるのかもしれないけれど
日常に密着したマイナスの感情を感じることすら
すごく嫌悪するようになっている。






痛みはを感じるのは負け、
苦しみを認めるのはプライドが許さない
ツラさを認めるのはミジメすぎて耐えられない。









そんな風に、人間として
当たり前に抱く感情を避けよう避けようとしているのかも
しれません。










ただ、薬で不安を消すことなどできない。
でも、薬ならなんとかしてくれるはず、量が足りないだけ
種類を増やせば…と、どんどん薬漬けになっていく。





本当は不安や悲しみと真剣に向き合って
その感情との良い付き合い方を、
人間関係の中で学ばなければいけないのに







現実から目を逸らして、
ただただ薬に頼ってしまう。







たとえ薬で不安を消すことが出来たとしても
人が、誰かとのフレアイを求めて
人間関係を持とうとしている限り、
やっぱり、不安はきえることはないでしょう。
他人の心は見えないしコントロールすることもできないから。






なんで、不安や怒りを持つ事を
嫌悪したり恥じたりしてしまうのか。


もちろん、社会で収入を得るためには
負の感情はなるべく表に出さないことが好ましいし求められる。
時には、そういうものは
押し殺さなければならないときもあるでしょう。




でも、それはあくまで仕事上だけの話。
10時間働いて8時間眠ったとしても
素になれる6時間が残っているはず。



けれども、そこでも仕事のように負の感情を出すことをためらって
嫌悪してしまうのです。


なぜでしょうか




これは多分、イイコでありなさい、ということを
ずっと”教育”として言われてきた、または良い子にならざるを得ない状況下で
育ったことに起因しているのでしょう。







イイ子というのは手のかからない子。
それは親を困らせない子。
困らせない子というのは、マイナスの感情を訴えない子、のことだ。






親に気入られたい子どもは、常に感情を隠すようになる
感情を隠して、感情を感じることを悪いことだと思って
感じることさえ忘れてしまう。






自分の感情を感じないということは
自分を失ってしまうということだ。




自分を失ってしまえば、人間は
遅かれ早かれ、壊れてしまうでしょう。



本当の不安ってきっと自分を認めてもらえていないこと、
つまり、自分の感情をムゲに扱われる世界にいると感じることが不安なのだろう。



感情を安心して出せる、という場面と場所が増えることが
薬という逃げ場所から救い出してあげるヒントになるのかもしれない