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●一緒に居る時間の為に損なわれるもの




最近、というかかなり前から感じていたことではあるが
夜遅く、といっても21時くらいの話ではあるが

コンビニやGMSの食品コーナー、ドンキホーテなどで
小さなお子さんを連れた親子の姿を見かけるようになっていて


子どもは、ねむたくないのだろうか?
生活のリズムが崩れて体調を崩さないだろうか?

と、勝手に憂うことが多々あった。

しかも、そんな時間なのに
走り回った大きな声で笑ったりと
子供さんはとても元気な事が多い。
夜にテンションが上がるのは大人も子供もかわらないのかしら。。


なぜに妄想的な心配をしてしまうかと言うと

遅くても22時には寝ないと怒られたし
むしろそれ以上起きていることは、つぎの日が日曜日だとしても
できなかったという経験があるから。


だから?野球中継で土曜日のドラマ(家なき子とか金田一とか)
が30分繰り下がって始まる事があると
巨人を恨めしく思っていた。

まぁどんなに楽しみにしていても
基本的には子供は、夜に眠くなって睡魔には勝てない
という僕の思い込みも多分に影響していると思いますが。。




で、恐らくですが、共働きが増えて、
平日に不足している親子コミュニケーションを
回復する意味で、週末の夜の時間を利用して
お互いに寂しさを解消することが出来るのだとは思う。

一緒に外に出ることで、親のある種の罪悪感も薄れるだろうし
子どもだって大好きな親との楽しい時間を心待ちにしているに違いない。












ただ、ここで思うのは
なぜ弱者である子供の方が
親の都合に合わせなければならないのか
という事だ。


理想論をいえば、
ケアする側の親が自分達の時間や感情、体調を後回しにして
子供の感情や欲求に寄り添うべきなのではないだろうか。

子供には健全に発育する権利があるのだから。







その発育のために最も重要な一つの要素として
睡眠時間の確保はハズせないでしょう。


その子供にとって大切な時間を犠牲にして
親の都合によってリズムを崩されてしまうことは
正しいと言えるのだろうか。



なぜ大人の方が歩み寄らないのだろうか
なぜ、一緒に居る時間を休日の昼間に持ってこないのだろうか?
という懸念もある。




推測ではあるが、
子供を夜に連れまわすことは
親側に多分のメリットがあると思われる。








それは例えば


生活必需品は必ず一定の期間を空けずに
補充しなければ生活がままならないため
絶対に購入する時間を確保しなければならない。


その絶対に必要な時間で一緒に過ごす時間を作ってしまえば
買い物はできるし、子供の不満を解消させることもできるから
まさに一石二鳥なのだ。
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そして、次の日の昼間は
友達と遊んだり自分の趣味に心置きなく
時間をあてることができる。

だって、夜に遊んであげたから…。









ここにも、自己愛を優先して
親としてではなく、一人の大人としての自分の時間も
確保したいと言う自己愛的な考え方が蔓延している気がする。



理想論では、誰の為に誰の都合に合わせて
親の立場として考えなきゃならないのか、ということは
恐らく把握しているはずだから。







義務教育程度の知識さえなくても
子供が夜に眠っていないことは
身体に良い影響を与えることは無いって
なんとなくわかりますよね。




わかってて子供を親の都合に合わせて
行動させるのだから、やっぱり
大人の自己愛というか自己中心的思考なのだ。















もちろん、本当にその夜の時間にしか一緒にいてあげられないという
事情を抱えている家族だってたくさんいるのでしょう。


ただ、深夜に子供を連れまわす
と言うシーンからも感じるのは


子供の個性や健康を後回しにして
大人の都合の為に振り回されている、という
子供をコントロールできる道具だとでも考えているのではないかと思われる
悲しき世代の思考回路のユルさだ。







そんな風に自分達の都合を優先させている親が
子供の話をきちんときいてあげたり、ワガママを言った時に
きちんと受け容れてあげるということを
行えているかは甚だ疑問だ。



そして結局、基本的信頼感の欠如が
その子の将来に渡っての不具合感を生んでしまうのだと思う。