ラスフレ













ユーチューブを徘徊していて


イムリーでみていたのに








再び釘付けになってしまうのはLF。













えいた、うえのじゅりさんのラストフレンズだ。














































ここで、


ラストフレンズの登場人物が抱えている病巣病理を


検討してみる






























タケル 幼少期の近親相姦、からの女性への性的嫌悪

















ルカ  性同一性障害、からの女性として男性から見られるという視線恐怖
































エリー 愛着期における愛情・甘え不足による、衝動的な寂しさに対する


    弱さから来る男性依存?












そうすけ 幼少期のネグレクト、からの見捨てられ不安によるDV












ミチル 共依存 幸せ恐怖症 被DV
















タケルとルカは、割と因果がわかりやすいと思う。


幼き日々に実の姉からの性的虐待を受ければ


行為について、なにかしらの嫌悪感を植え付けられてしまってもしかたがないし


GIDについても、まだまだ日本で


カミングアウトできるような風潮は整備されていない。











そうなれば、自分は他の人と違っているんだ、欠陥を抱えているんだ、と


どこかで自尊心が満たされない状態が続いて生きているといしても


何ら不思議は無い。








































エリーは、まぁキレイな気の多い

寂しさをストレートに表現できる女性

というだけなのかもしれないけれど




衝動的に男性と寝てしまうような傾向を感じたので


容姿としての自分は男性から受け容れられるけれど


中身を見られたら、捨てられるかもしれないという不安を抱えていて


不安があるからこそ、武器になる外見をアピールして男性に近づくから


中身そのものをいつまでたっても認めてもらえないので寂しさが埋まらない










という少し無理のある見方をしてみる。















ソウスケは、そうですね、育児放棄にあっていて


いつ、それでも親に必死に気に入られようとしながら


いつ自分が捨てられてしまうのか、という恐怖と常に戦っていて


その恐怖が怒りへと外部に発せられてDVにつながってしまうのでしょう。
























年を重ねる過程で、その恐怖が自分の思い通りに動いてくれそうな人に対する怒りと美暴力によって発散されるようになる。











だって自分を見捨てないような

自分の要求を受け容れてくれそうな女性を

お母さんの機嫌を常に損なわないようにお母さんの表情を敏感に察知していた”眼”を使って、やっとみつけたのに















やっと、自分を見捨てないで自分で思い通りに動かすことが出来るであろう人が


みつかったのに、それが達成されないときの空しさは相当なものなのでしょう。












そしてミチル、物語の中心には彼女の抱えているものがあると思う。







これは、経験がある人もいると思うのですが、


空気感というか匂いというか、


そういう精神的な病理の資質を備えた人って

なんとなく見分けることができません









オーラとか雰囲気とかで。


そして、そういう自分をわかってくれそうな人を選び、近づいていき


お互いが分かり合える関係を望むから、わかってもらえる相手になら


どっぷりハマってしまいたいと思う。


















きっとミチルは、そういう

”危なくて受け容れてくれそうな”空気感を

持っている設定なのだと思います。











DVをされてしまのも、なんとなくの

従属性や受容性があるんじゃないかと思われる空気感を漂わせているからなのだと思う。







DVするほうも、こいつにならできそうだ

という風に思える相手を無意識的にでも選んでいるはずだから。















ある意味で、互いに引き寄せ合っている





















「何が一番困っているのか、それは近しい人たちに本当の事を言えてない状態


あるがままの自分を見せられない状態が続くということなんです。」












そう、自分の痛みとか抱えてしまった症状を消したいということよりも


わかって欲しいと思える人にさえ、隠し通さなきゃならないんだ、


という世界からハブられているような感覚を抱えているという事が


もっとも本人を苦しめしまうのだ、ということ。