未熟自の未熟児

育児の中でも授乳の時が落ち着くという意見が
若いお母さんの意見で特に多いのだそうだ。



最も微笑ましい場面に安心を感じているだなと思ったら
とんでもない



おっぱいに集中してくれている間にメールが返せるから
という理由で安らげる時間なんだそうだ。






出生率が微増だとか
シングルマザーをもっと認められる環境にして
シングル手当て・保育拡充して未来のために子孫を残そう



などという議論が行われているそうだが
なぜわざわざ、不幸の数を増やそうとしているのかと
ほとほとに疑問を感じずにはいられない。



確かに出生率は国を継続的に繁栄させていくためには
絶対数として人が多い方が経済は栄えるし
消費拡大にもなるのだろう。
そのためには、生みやすい育てやすい環境の整備だって
大切なんでしょう。





けどね
自分を自分で満足にコントロールできなかったり
未熟さを子供に補ってもらうとしたり
夫婦関係継続のツールとしての存在を期待したり


初めから、自分達のご都合主義ありきで
生み育てることで、いったい誰が幸せになれるのだろう
むしろ、不幸になるものをこの世に産み落とすことになるのではないだろうか。




この子を、この世に迎え入れなきゃ、とかね。
本当は、堕ろしてしまったという十字架を背負って生きていくのが
イヤだから、そんな義務感みたいな感情とすりかえているのかもしれない。



極めて自己愛的でありがならその実、自尊心は満たされていない、
そんな人たちが子供をもうけることは
その後の親子とその周辺に、どのような影響を与えるのだろうか。



子供は弱いし、親の庇護がなければ生きて行けない。
だから、意識はしていないだろけれど、親を精一杯好きになり
この世で生きていくためには親に気いられて親を好きになり
親から守ってもらわなければ本能でわかっている。





つまりそれは、子供は親の思い通りに操作できるということだ。




小さくて可愛いし、なにより「親」という
オンリーで唯一無二の役割を与えてくれる。

これは自分の生きる意味だと錯覚できるくらいの幸福感なのだろう
オンリーワンって事は、ナンバーワンって事だから。



自尊心、自己肯定感が、それまでの人生で欠如していた人にしてみれば
こんなに自分の都合よく幸福感を与えてくれるモノなんて
今までなかったことだろう。




享受するものが手に余るので
自尊心を満たすための道具として子供を使ってしまう

それで、最初は
尊い命を守っていると言う優越感に浸れて
唯一無二のそんざいになれたんだと、張り切るんだけど
ペットやゲームのキャラのようには思い通りには親に従ってくれない。

なんで言うこときかないの?
めんどくさい、むかつく、自分の時間が欲しい、




っで、やっぱり未熟で自己統制が出来ていない人は
自分の思い通りにならない事を継続して忍耐して行うことなんて
できないことの方が大いに決まっている。




そしていつのまにか、自分の都合や機嫌が優先され
個の命として尊ぶ気持ちは失せてしまう。


子育てが、テレビやネイルサロンに通う事と
同じレベルの事象になり、今日はどれをしようかなぁなんて
無責任にもほどがある思考が定着してしまう



子供は敏感ですから
あぁ愛されていないんだなって恐らく感じてしまうのでしょう。


けど、親から見捨てられたら世界で生きていけないから必死で
親の機嫌を損なわないように耐えて耐えて、いつか機嫌がよくなるだろうって
それまで、自分を抑えこんで待ってしまう。


こういうことが繰り返されれば
人格形成にどういう影響が及ぶか、見えてきませんか??



そう
何らかの取り除くのが難しい問題を抱えて発育していくことになるでしょう。


まさにペット飼う感覚で子供を育ててしまうのだ。



そのペットによって自己愛者は自分の欲求を満たさそうとする。
自分が満たされようとしているのです。
犬に服を着せたり、マッサージにつれていったりするのは
ペットが、かわいくなった姿を自分が見て満足して
可愛くしてあげた自分に満足したいだけなのです



その発想で育児をしたら、子供の望んでいることをしてあげようとより
自分の希望や欲望に子供が合わせて欲しいとなってしまうのです。

これが自己愛です。ですから自分が作った離乳食をきちんと食べ欲しい
お母さんだって疲れてるんだから、夜鳴きなどしないで眠って欲しい
など自己愛的感情になって
そのとおりにならなかった時にはイラダチを感じてるわけです。

ぜーんぶ、自分の思い通りになって
自分を満たしてくれる存在だと勘違いして勝手に私だけなんでこんなにつらいの?とか悲劇演じるちゃう。


完璧な人間なんていない、という事ではないなく
自分を賄えていない人が生を生み出すのはリスクがありすぎると言う意味で
この世には親になんか絶対にならないほうがよい人たちが溢れかえっている。






例えば、自分が疲れているからといって、子供の活動を制限してしまう。
うるさい、疲れてるんだから、あっちで静かにしていなさい、と常に自分が中心で動いている。

そして、たまーに機嫌がいいときだけ
優しい親の顔をしてあやす。

けどね、子供が遊ぶってのはすごい意味を持っているらしいんだよね。


子供にとって遊びは生産的であり、しかも創造的なのです。
発達に不可欠なものです。
ところが私達大人は子供の遊びも大人の遊びもごちゃませにしているわけです。
大人はリラックスするために遊びますからね。

子供は単純に快楽を求めて遊んでいるのはまったくなく
むしろ苦痛を自ら積極的に背負おうとしている。

なぜ彼らは遊びの中で苦痛を背負うことができるのか
困難にちょうせんしようとするのか
それは発達と言う衝動があるからだ

子供の遊びをずっと見ていると、昨日と同じことはしていない、
昨日より上手になろうとしている、発展しようとしている


教えようという気持ちが強くなっているのは事実ですね。
それは親達が孤立してしまったからです。
孤立すればするほど人間は自己愛的になります。
人間は誰もがいろんな程度に自己愛的ですが
特に現代人は自己愛の程度が強すぎる状態になっていると思います。
そうすると子供も自己愛の対称にするわけです。

また、これはある種の能力が高い子供の場合には当初はうまくいきます。
子供は親の望んでいることを察知する能力に優れているからです。しかし、無理を強いていると思春期を迎える頃までに親から離反していきます。
こういう事例は、子供自身も自己愛的になってしまいますからね。

もちろん、私達は完全な親から生まれたわけではありません。
親にも、親なりに生きてきた歴史や背景があり
親も子もそれぞれに欠けたところをもちながら、懸命にいきているのです

育児の中でも授乳の時が落ち着くという意見が
若いお母さんの意見で特に多いのだそうだ。

最も微笑ましい場面に安心を感じているだなと思ったら、とんでもない
おっぱいに集中してくれている間にメールが返せるから、という理由で安らげる時間なんだそうだ。

確かに搾乳は、母乳を与える事がメインの行為なのだろうけれど
それだけではないはずだ。
親密な関係の中で
言葉をかけてもらい微笑みあいながら行われ、その中で大切にされているんだな
と感じるさせることだって、重要なのでは。ないでしょうか。



美佐子さんが子供を産みたいと心から望んでいるのは、俺に言わせれば、とんでもない錯覚に過ぎないってことです。美佐子さんはきっと一人の人間を生む。誕生させるということにものすごく大きな価値を感じてしまっているんですよ。どうせ自分同様にさほど面白くも楽しくも無い自分を送るしかない、何ほどの価値も無いような
人間を作り出すだけの行為をものすごく尊い作業のように勘違いしているんです。


この世の中には、親になんか絶対にならないほうが良い種類の人間がたくさんいる。
つまり、不幸を生み出さないという行為が犠牲者を出さないと言う意味で、幸福を生み出していくということになるのだろう。









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