グズり出すと、心底憎らしくて暴言を吐いたり乱暴に

臨床心理士の子育て相談―悩めるママとパパに寄り添う48のアドバイス

臨床心理士の子育て相談―悩めるママとパパに寄り添う48のアドバイス






「子は母を慕い、母は子を無条件に愛するもの」
と刷り込まれた価値観のために
私たちはどれだけ罪悪感のとりこになってきたことでしょう。








現実には切っても切れない親子の関係だからこそ
母と子の間には濃密で複雑な感情が行きかいます。


反発、怒り、憎しみ、嫌悪、そして損得勘定も。



人間関係の中で生じる感情の全てが
そこで体験されるといってもよいはずなのです。



我が子を憎らしく主気持ち自体は、
恐ろしいものでも母親失格の烙印をおされるようなものでも
決してありません。




しかし、大切なのは、憎しみや、
自分の中の否定的な感情を押し殺そうとするのでなく
そこにあるものとして認め
ちゃんと向き合ってみるということです。





いったい何に対して、それほどの怒りや腹立ちを感じているのか、じっくり考えてみることです。思い通りにならないのは、娘さんですか夫ですか、それとも「私の人生」ですか?
別人格をもった夫や子供が思い通りにならないのは当たり前。
ならば子供への憎しみの背後に有るのは、持て余している現在の「私」への怒り、そして孤独感でしょうか。
女性が、一度しかない自分の人生を「私個人」と「母や妻や娘という役割」とにどう分配するかは誰にとっても難問です。次の世代の女性たちに少しでも手がかりを残せるよう、一人一人が真剣に考えて歩んでみるしかありません。
そういうと話が大きくなってしまいますが、「娘を可愛いと思う自分」も「一人になりたくなる自分」も、両方を大事にしながら自分らしい生き方を模索していってほしいのです。

可能なら、俳句とは言わないまでも、日記を書いたり、メールを書いたり、胸のうちを文字に残すことを通して、自分の抱えている絡み合った感情を少しずつ整理してみてください。その機会が見つけられないなら、子供を安心できる場所にちゃんと預けて”母親以外の自分”になれる時間をぜひ確保してください。母業休憩タイムを作るのが、子育てにおいてこころのゆとりを取り戻し、怒りや憎しみの感情に呑み込まれないようにするための、最も現実的な工夫だと私は思います。

子育てが楽しいと思えないのはよくない母親?

「子育ては楽しくなければならない」「たのしくあるべきだ」
そのような価値観を押し付けられ、反発をおぼえてしまったのでしょう。
そもそも、楽しいとか楽しくないとかいう問題の底には「好きか、好きでないか」という判断の軸があります。誰でも、好きなことは楽しめますが、好きでないことは楽しめないのが普通ですね。つまり、子育ては楽しいか、という質問には「子育ては好きか」という意味が前提として含まれているわけです。
なぜ女性は母親になったらみな、子供や子育てが好きで、楽しくなければならないのでしょう?何が好きで嫌いかは、個人の特性の問題であって、誰かから決められる種類のことではありません。
子育てが好きな人もいれば好きでない人がいる。会社で働くことが好きな人も嫌いな人もいる。でも、大人として重要なのは、好き嫌い(楽しいか苦しいか)を超えて、レクリエーションのように都合のいいときだけ楽しむわけにはいかないのですから。
「悦び」の中には、自分の人生に与えられた物への感謝と畏敬、苦しみを乗り越えて何かを得た安堵、などの気持ちが含まれているように思います。
期待される一般的な「良い母親像」に合わなかったからといって、動揺する必要はありませんよ。