あいめっせーじ

アサーティブネスの原点は
相手も自分も尊重することです。



伝えたいのが誉め言葉であっても
自分を下に見たり相手を下に見たりせず
相手に対して、率直に誠実に対等に自分の
ポジティブなメッセージを届けます。






批判をされると誰しも面白くないものだ。

意見とか考え方ならまだしも
だからお前はダメなんだ!と
人格そのものを否定するような発言を平気で(あえて?)
してくる人が
あなたの周りにも一人や二人必ずいるでしょう。






しかし、そこで批判に対してむきになって
討論をしてしまっても一時感情が発散される以外には
人間関係もその場の空気にも、なんにもいいことが無いと思います

そこで重要なのは、批判を「受け止める」ことです。
それは批判を「受け容れる」事とは全く意味合いが違います。

批判のボールを両手でキャッチする、というふうに考えて見ましょう。
受け容れてしまうと”同意”することになります。
そうではなく、「受け止める」とは

相手の批判をを聴き、ちゃんと聴いたことをを態度で示す
ことなのです。

うけとめないとどうなるでしょうか?
相手はあなたに対するネガティブなメッセージを何とか伝えようと思っているので、あなたが受け止めるまでひたすらにメッセージを送り続けることになります。
つまり、批判の矢はとまらないどころか、どんどんエスカレートしていくのです。
そうなると、コミュニケーションには至りません。

相手の批判の言葉を受け止めない限り、問題
解決のための
スタートラインに立てない、のです。

コミュニケーションのない批判の応酬ほど不毛なものはないので、何とか話し合いができるレベルにとどまるようにします。
批判へのアサーティブな対処法は、対処した結果、よりよい状況や人間関係を作っていくためにこそ使いたいものです。
批判は怖がるひつようはありません。アサーティブに言葉を受け取ることで批判の矢も素敵なプレゼントになるのです。

心配する気持ちは誰のため?

相手にために、と思っていたはずが本当は自分のために相手をコントロールしようとしているという場合もあります。
以前、私の親しい友人ががんになり、手術したのち、通院しながら放射線治療をしていたことがありました。放射線治療というのは、精神的にも身体的にもつらい治療です。
私は何とか自分の出来ることはやってあげたいと思い、いろいろなお手伝いをしていました。
当時友人は治療のストレスから、身体に悪い食べ物(と一般に考えられるもの)を食べていました。それを知ったときの私の反応は、こうでした

「」