皮膚呼吸の必要


肌と肌の触れ合い、スキンシップは
健全な発育とともに
人間が与えられた役割をキチンとこなすために
最も必要な行為なのかもしれないと

はた思いついた。




「中2から中3の頃と言えば、特に女の子は親離れが終わって、もう誰とも肌をあわせなくなってくる時期だからね。精神的にも肉体的にもすごく寂しいんだ。だから、その年頃に彼氏を作って処女を捨ててしまう女の子って結構いるだろう。彼女たちは別にセックスしたかったり子供が生みたかったりするわけじゃない。ほんとは親の変わりにベタベタできる相手がただ欲しいだけなんだ。千佳もお父さんが浮気をしていると知らされて、きっと嫉妬したんだと思うよ。その理由は父親を奪われてしまったなんてことじゃなくて、自分は誰ともベタベタできないのに父親だけが抜け駆けして、そういう対象を、しかも母親以外の女性に見出したことに、なんだか先を越されたような悔しさと怒りを感じてしまったからだろうね」

という一説がある。あるいは

女性同士(母と娘とか、友達同士とか)がベタベタしないまま大人になると皮膚がさみしくて早い性体験をするようになります。こまったことに、そういうときの相手は寂しい男性です。そうした男性ではセックスをしてもますます心の飢餓感が増します。

という一説も思い出した

本来、人間は幼少期だけでなく、年齢が大人に近づこうともベタベタする時間が必要なのだろう。それは恋人から夫婦に昇華した男女の間でも変わらないのだ。
ただ、恋人であった期間はお互いがお互いの寂しさを補完しあっていたから、うまくまわっていたし、仲を深めるコトにも一役かっていたはずだ。

「お父さんとお母さんになると、もう男と女として見れない」

という意見を聞いたことが無いだろうか?これはきっと当人たちが気づいていないだけで寂しさやスキンシップ欲求を他の方法で満たすことを覚えて満足するから、お互いに必要としなくなるだけではないだろうか。
特に母親の方が、赤ちゃんが母を求めるという意味において、どうやら子供にスキンシップを与えているようであって母親自身も充分に享受しているらしい。

川の字で寝る、なんてことは昔よりは少ないのかもしれないが子供が小学生くらいのうちは母親と一緒に眠ることも少なくないだろう。
子供は愛されているという感覚を母と触れ合うことで感じ、安心感と基本的信頼感を築いていくのはご存知のとおりだと思いますが実は、母も子供とのスキンシップで満たされていることも事実のようです。

さて、母と子が癒着しているあいだ、男性である父は寂しさをどうしているのでしょうか?
自制心責任感が強くて金銭に余裕のある男性であればもろもろのサービスを割り切って受けて紛らわせているのかもしれませんが、環境が整わないお父さんはどこに寂しさをぶつけるのでしょうか。浮気に走ってしまうことも、ないとはいえない気がしませんか?
だってスキンシップの相手を子供にとられてしまったし、相手はそれで満たされる、自分だけ取り残された疎外感を感じる。
寂しさっていうのは「人間を少しずつ弱らせていく味も色も無い毒薬」なので人間はそれを必死で回避しようとしても(法的に2回目は許されないらしいですが)しかたがないのではないでしょうか。

そして、癒着を許していた母親も、親離れの時期なのではと周りから吹聴されて、そろそろ一人で眠らせなきゃなのかな、と思い始める時期が来るだろう。それが恐らく中学生くらいのタイミングだと思われる。
そうすると、確かに友達も一人部屋で眠っているって言ってたなぁと子供も思い、一人で眠るが、やっぱり何か寂しさを感じてしまう。でも、年も歳だし寂しいとか親には言えないよなぁと思って我慢してしまう。
そこで、その寂しさが肥大である人ほど性的欲求が増す同年代との関係を求めてしまうのだろう。ただそれは性欲というよりはスキンシップを求めているだけであるのですが、そのあたりの気持ちの区別をつけるのは難しいのかなと思われます。
この関係が良い経験であったと思えればいいのですが、上述のように寂しさを埋めるだけの手段で心が伴っていない場合は、その場は満たされますが、すぐさま寂しさが襲ってきて、それを埋めようとまた心の無い関係を続ける、というスパイラルにはまってしまうことがあるのです。。

呼吸をすることと同じくらいに、皮膚呼吸というスキンシップも必要なのだと思う。それは性欲を排除したものかもしれない。心を満たし、何ともいえない安心感が、いくつになっても必要なのだ。

このスキンシップ欲求、触れ合いたいという本能があるから口説き、侵入を許してもらおうと尽くすという人間活動が生まれてくるのだろう。。



どれくらいの愛情 (文春文庫)

どれくらいの愛情 (文春文庫)