離れたいけどぉ

☆相手に要求すると、どんどん苦しくなる


私がしているんだからあなたも??



相手との心地よい距離感を育てるには
あなたが「しなければならない」から解放されるかです。
「しなければならない」が根底にあると
自分にそれを要求するために、自らそれに縛られていきます。


例えば、あなたの職場で同僚がサボっています。

あなたはその姿を見るとどんなきもちになるでしょうか。

「どうして、あいつはサボってばかりいるんだ!」と
腹を立てるでしょうか。それとも
「またズルしているっ。俺もあいつのように無神経な人間になりたいよ」などと、サボれない自分のそんな性格を嘆いているでしょうか。


しかし、いずれにしても、あなたは「サボってはいけない。怠けてはいけない」に囚われています。まさにあなたがそうやって休憩しているとき、「ああ、サボっちゃいけないのに。怠けちゃいけないのに」などとツブやくと、どうでしょうか。ちょっと後ろめたい気持ちになるでしょう。
では、これはどうでしょうか「私は疲れたので、ゆっくりしよう」
心と行動が一致しているので、自分が休む事を心から心地よいと感じるはずです。
同じ「休憩をする」だけでも、こんなに違うのです。
さらに、あなたが「しなければならない」に囚われていると、相手にもそれを要求していきます。「僕は仕事で疲れて寝ているんだから子供たちが騒がないようにさせるのが妻の役目じゃないのか」「俺が稼いできてるんだから、お前が俺に従うのは当然だろう」
これらの要求が通らないと、あなたは感情的になって、ネガティブな関係で距離感覚を縮めていって、争いの種を撒き散らすことになるでしょう。

それでも決して心は満たされない

なかには「こんなふうに威張って相手に要求できたら、さぞかし気分がいいだろうなぁ」と羨ましく思う人もいるかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。例えば、こんな例はどうでしょう。
あなたは会社の社長です。あなたが訓示を垂れるとき、社員にこんな要求をしています。
「私が話しているときは一瞬たりとも目をそらしてはいけない。親権に聴かなければならない。私の望むように反応しなければならない。私がジョークを飛ばしたら笑い、悲しい話をしたら涙を流し、素晴らしい話をしたら感動しなければならない」
話の最中にあなたはいきなり怒り出しました。それは一人の社員があなたに無反応だったからでした。大勢の社員の中のたった一人が自分を否定した(ように感じて)、それだkであなたは傷ついて腹が立つのです。
今度は会社の役員たちが、あなたに頼ってきました
「社長、是非、これを社員たちのためにまとめてください」
あなたは、それを「しなければならない」と受け止めます。しかしそれは
「社長だから、お手本となるべく完璧に、正確無比でなければならない」と要求されているように聞こえます。なぜならあなたは、いつも、それを社員に要求していたからです。
ところが実際に社員に同様のことを要求されると、それに応える自信がなくて怖気づきます。あなたは応えに窮して
「どうして僕がしなければならないんだ。それをするのが君たちの役割だろう」と怒鳴るかもしれません。まさに「しなければならない。でも、できない」状態になって責任回避したり責任転嫁したくなるのです。
こんなふうに相手に要求することは結局、自分に戻ってきます。自分の要求は相手だけでなく、自分も縛っているのです。
だから「しなければならない」ということから解放されたほうがいいのです。相手との適せつな距離感覚を保つには、これが必須です。

してほしい、が止まらなくなると

妻が夫に言いました。私ちょっと具合が悪いんだ。夫が無表情に言いました。さっさと薬を飲んで寝るんだな。このやりとりにしょうちょうされるように病気や怪我をしたとき
優しい言葉をかけてくれなかった、冷たい態度をとって布団すら敷いてくれなかった
といった不満をこぼしながら、夫に優しさを期待し、それを待っている妻たちが少なくありません。
では、そんな妻に、夫が布団を敷いてあげたとします。妻はなんと応えるでしょうか。
「ありがとう」でしょうか。仮にそうだとしても、「布団を敷いてくれたっきり薬すらもってきてくれない」と、感謝の分量よりも恐らく新たな不満の分量のほうが多いでしょう。相手に「してほしい」と要求しつつ、「してくれない」点を探していけば、どんなにあいてが自分がの要求を満たしてくれても、満足しません。
万が一、相手が自分の要求をみたしてくれたとしても、恋う思うでしょう。
「こんな私のために、仕事まで休んでくれて申し訳ない…。私がびょうきしたばっかりに、みんなにとても迷惑をかけてしまった」と今度は罪悪感の虜になっていくでしょう。

相手は際限のなさが怖くなる。

こんな関係になるのも、実は、妻と夫の「適切な距離間隔」の経験が乏しいからです。
こんな状況のとき、夫のほうはゼロか100の思考に陥っています。しかもその奥には「しなければならに」思考が蔓延しています。「優しい言葉をかけた」としたら、あとはもうどんなに苦しくても際限なく相手のニーズに応じなければならない。そんな怖さが襲って気ます。
距離間隔でいえば。全く接点がないか2つの円が一つに重なるような息苦しい関係しか築けないでしょう。だから相手を刀でバサバサと切り捨てるようにゼロで切り捨てたくなるのです。あなたの相手が、そんな「0か100」のひとだったら、なおさら相手がすぐに優しい人になるのは困難でしょう。
では、どうしたらあなたは自分が望む「やさしさ」を得られるのでしょうか。それはあなたが自分に優しくなることです。

望んで待つより言葉で伝える

実は、0か100の発想をしてしまう人は、優しさを発揮したくても「具体的な中間の引き受け方、中間の断り方」を知りません。
他方あなたも、「私が、自分の望みを相手に伝えたとしても相手はそれに応えてくれない」と信じています。言っては断れれば傷つきます。だからあなたは相手にしてくれることを望みながら、待つ、のです。そのときあなたが望む優しさは非常に漠然としています。その「漠然とした優しさ」には際限がありません。だから「夫の際限ない献身」と「妻の際限ないやさしさ」の根っこは同じだったのです。
「のどが渇いたから、悪いけれども果物を買ってきてくれない」と、あなたが相手に頼んだとします。「やさしい言葉をかけて」は無理でも、こんな”具体的な頼み方”であれば、相手も引き受けやすいでしょう。これを「中間の頼み方」といいます。

あなただけでなく、相手も0か100の距離間隔しか知らないので、お互いに傷つかない「中間のやり方を知らないのです。」さらにまた、相手が果物を買ってきてくれたら
「ありがとう。助かったわ」などと、相手に対する感謝の言葉を述べれば、相手はあなたに強力した行為を認められて満足するでしょう。
相手は「言わなくてもわかってくれる」では無理です。「言わないと、自分の気持ちは伝わらない」、そのための言葉なのです。





離れたくても離れられない人との距離の取り方

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