ひとこと言いたいわたしにさようなら

誰かが話しを始めると
大抵の人はすぐそこに割って入ろうとしてしまいます。

相手の言うことでショックを受けたり
驚いたり気分を害したりした場合は、余計にそうなりがちです。

けれども反対に
自分の話を遮られるのはみんな嫌がりますし
きちんと聞いてもらえないと感じれば
さらに不愉快になるものです。


質問を投げかける、価値判断を押し付ける、アドバイスをする、どうでもいような感想をはさむ…こうしたことはどれも話の邪魔になるばかりで話している人の調子を狂わせ、折角の会話を台無しにしてしまいます。
まして条件反射のようにやってしまえば、きちんと相手の話を理解することができなくなり、とりわけ敬意をもって、そのひとにせっすることが葛か敷く鳴るのです。



本当にひどい有様なのですが、このことから現代人が抱える満たされなさの正体が浮かび上がります。
つまり、誰もかれもありのままの自分を聞いて欲しい、分かって欲しい。受け容れて欲しいと砂漠で声を張り上げている一方で、自分以外の人の声を聴いてあげようという人はひとりもいないのです



ところで
「聴くことの拒絶」には大きく分けてふたつの働きがあります。

まず、会話の主導権を握り、話題が自分にとって好ましくないほうへいかないようにすること。
なにしろ人は往々として自分の考え方を根底から
揺さ振られかねない事柄や心情を否定するような説を突きつけられることを嫌うもの。たとえ自分の間違いに気づいてしまっても、です。

「だって、世の中が私の思っているのと違うなんて、認めたくないもの!」
話の途中でこう叫んだクライエントもいたほどです。そのうえ、現代社会においては感情的になること自体よくないとされているので、自分自身の感情の変化をどう処理していいのかわからないのです。
また、誰かと話していて、相手から怒りや恐れ、気落ちした様子などをありのままみせられると、耐え難いほど気まずく感じてしまうものです。
辛さを訴える人に向かって、お門違いなセリフなかり投げつけてしまう背景にはそうした心の耐性不足も含まれているでしょう。
それからもうひとつ、拒絶は自己顕示欲を満たすためのお手軽な手段としても役立ちます。誰の心にも棲んでいる「ひとこと言いたい私」は、他人からすごいと思われるのが大好きで、場の中心となり、聞き手の関心を集めることに格別の価値をおいています。そうして自分は他の人より物を知っている、自分のほうが賢い、自分こそ人生の難局に立ち向かう術を心得ているだ、と悦に入るのです。
そんな風だから、隙あらば相手をやりこめようと常に身構えている。全ては相手より優れているという束の間の、けれどめくるめく快感に浸るためなのです。




人は内面的な強さ、穏やかで満たされた自我が確立されて初めて
「生き方は十人十色、人生に優劣はない」
「誰もが与えられた環境でやれるだけのことをやってきた結果、いまにいたっているのだから今が最善にして普遍的な状態なのだろう」
といった考え方を受け容れるようになります。


そこでもうひと踏ん張りすれば、自分よりずっと効率的な身の施し方をしている人もいるのだと謙虚にかつ引け目を感じることなく認められるようになるのです。
さあそこで思い出すべきは、かけているところが自覚できたときこそ、向学心を発揮するチャンスなのだということ!
また自分の中にぶれない軸をすえることも、落ち着いて感情表現を受け止めるために不可欠でしょう。だからこそ、「聴き方」を身につけるための作業は自分自身と向き合う作業でもあるのです。

拒絶のほんのひとつとして、感情表現に対する恐れ、そして自分といわず相手といわず、生々しい感情の伴ったやりとりを避けるために用いられる手段のあれこれです。
こうした傾向は比較的最近のものといってもよいでしょう。
たとえば昔は、「泣き女」と呼ばれる人々がいて、痛みの渦中にある人々の涙を十分に引き出して、悲しみを吐き出させてあげることを生業としていました。
しかし今日では、怒り悲しみ攻撃性恐怖など、どれも正面から受け止めてもらえないことが多く、未熟な人間であるかのようにみなされがちです。

けれども、どんな感情もきちんと発散できれば、すっきりするということは誰しもわかっているものです。なぜなら話をするということは、ただ他人に情報を提供するためではなく、感じたことを言葉にしたいという欲求を形にする行為でもあるからです。
自分がどんなにウンザリしているか、どれほど深い悲しみを味わっているか、気落ちしているかを素直に口にすることができ、かつ、それをあまり真っ直ぐに受け止めてくれう人に恵まれたらな、それだけでたちどころに癒されることでしょう。
にもかかわらず感情に満ちた物言いは、気持ちよく吐き出させてもらえることより、なんとか抑えこもうとさてしまうことのほうが多いのが現実です。





「ひとこと言いたい私」にさようなら!―人間関係が劇的に変わる「聴き方」の技術

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