モンスターの作り方

なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか

なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか





インターネットという非現実世界では友人になるのには非常に簡単である。いや、親しいという錯覚を抱くのが簡単なのだ。互いにハンドルネームやメールアドレスしか知らないというのに、最高の親友に出会ったような感覚を抱くことが出来るのだ。
コレも当然のことである。互いに自分の興味のあることや、匿名で対面もしていない相手なのだから突然話を打ち切ってしまっても、何の罪悪感も抱かなくて良い。分かってくれる、話が合う、親しくなれた、と思えない相手など所詮どうでもいい相手に過ぎない。クラスメートや同級生と違い、明日会わなくてはいけない相手ではないのだから、関係が壊れようと嫌われようとどうでもよい。たとえ相手の気分を害しても、修復しようと嫌われようとどうでもよい。関係が壊れたら、別を探せばよい、そう、相手の気持ちに配慮しなくて言いのだから、非常に楽なのである。現実の人間関係における煩わしさが無いのである。
また、煩わしさがないという事に加え、インターネットでは大人が自分と対等に話を聞いてくれたりする。一人前の大人として扱ってくれているように思える。これが子供たちは嬉しくてたまらない。子供たちは、子供であるがゆえに子ども扱いされるのをとても嫌う。子供なんだから、という言葉の後には大抵、大人のいうことききなさい、まだなにもわからないのだから、という言葉が続く経験をしてきているからである。
しかし、インターネットの世界には自分を一人前の大人として扱ってくれ、しかも非常に親身になって自分の話を聞いてくれる人がいる。今まで出会った誰よりも優しい言葉をかけ、心配してくれる。自分の全てを理解して受け止めてくれる。どんな悩みも嫌がらずに聞いてくれる。すると子供たちは思う。子の人こそが私の理解者であり、親友なのだと。
これももちろん錯覚である。互いに、暇をもてあましてか、寂しくて話し相手が欲しいだけでインターネットを接続詞、話し相手を探しているのだから、本当は相手など誰でもよいのである。匿名で全く知らない人だから出来る、話し相手探しの気軽さである。

モンスターが増えてきた理由

その大きな原因の一つは、学校と保護者間のコミュニケーションの減少である。コミュニケーションというのは減っていくと、要求と苦情が残る。それは減っていくプロセスで関係性が変化してゆくからである。人間は互いに会話する中で相手の事を素人氏、自分のことを知ってもらおうとする。すなわち、相手への興味関心がコミュニケーションの動悸づけとなっており、多く会話をし、多く触れ合う時間を持つことで関係が深まっていく、というのはつまり相手のことが自分にとって信頼できる、大事な存在となっていく、ということである。
相手が自分にとって大事な存在となってゆけば、当然、相手からどう思われているのかが気になるようになる。自分が相手の事を大事に思っているのだから相手からも当然大事に思って欲しいし信頼して欲しい、と思う。それっは相手を失いたくないからである。大事であると言う気持ちが強ければ強いほど当然、比例して失いたくない気持ちが強くなる、だから相手に対する言葉や態度に気を使うようになる。これは友人であっても恋人であっても夫婦であっても同じである。そこには、関係を続けて生きたい、という動機が存在する。当然、相手が自分にとってどうでも良い存在であると思えば、話をしようという気持ちは減退する。結果、コミュニケーションは減る。逆にコミュニケーションが減っていけば相手は徐々に自分にとって、どうでも良い存在になっていくのだ。コミュニケーションの減少は関係性を疎遠にさせ関係を続けたいと言う気持ちを失わせていくのだ。
つまり、コミュニケーションで必要なのは連続性であるという事だ。

学校の位置づけ





学校はサービスを生徒に提供しなければならないのでしょうか。

学校は、勉強を教えてもらう場ではなく
教師が子供を教育すべき場所となり
子供が勉強についていけないのは教師の教え方が悪い
と責められるようになった。

店員の対応が悪かったから商品を買わなかったというのと同じ理屈である。そして繰り返しになるが、どう思われたって構わない、と思っている保護者たちは、学校教師たちの態度しだいで、際限なく要求をエスカレートさせ、要求をかなえないことに苦情を申し立てる。この「どう思われたって構わない」「お金を支払っているのだから」という感情は、実はとても恐ろしいものである。親たちは思っているのだ。モンスターペアレントと思われたって構わない、と。そしてモンスターは巨大化していくのだ。