草にすわる

曜子さんが来ないと思うと浩次は今朝から気分が軽かった。一刻も早く退院して彼女をこの異常な状態から解放してやりたいと思う。が、反面で自分もあのような辟易する情熱から早く自由になりたかった。
一応はれっきとした心中未遂ではあるが、その言葉を与える印象と自分たちの実際とは大きく異なるし惚れ抜いた同士がのっぴきならない事情を抱えて、というのならともかく、自分と彼女の場合は、およそそんな切実な関係ではなかった。と浩次は思う。むしろ、そうした切実さがなかったからこそ、あんな突飛な状況で、こんな半端な不始末をしでかしてしまったのだ。そんな2人が未遂後もこうやって付き合いを重ねているということは、幕が下りたともつまらぬ三文芝居を演じ続けているようで、それこそ異様なことだという気がする。現に死に掛けたとはいえ、曜子さんの生来の強引さはかわってはいないし、自分だって何が変わったと言うわけでもない。
勤めを辞めたとき、五年もあれば、どんな人間だって一つや二つ何かのチャンスが舞い込むに違いないと浩次は思っていた。その結末がこんなものだったというのは、いかにも浅薄な自分らしいと彼は痛切に感じていた。
どうしても生きてないではすまないような、生きるしかないような、そういう切羽詰った理由を見つけてから再び社会に出よう、などと甘ったるく考えていたが、今回のことで身にしみたのは、どうしても死なないではすまないような、死ぬしかないような切羽詰った理由でもなければ、人は生き続けるしかない、ということだった。
所詮、生きるとはそんなものなのだろう。


失われていた記憶の一部が急速に回復されてきていた。浩次の手から一升瓶を取り返そうとむしゃぶりついてきた泣き出しそうな曜子さんの顔、薬を吐き出させようと浩次の口の中に指を突っ込んできたすさまじい曜子さんの形相、それらの像がはっきりと脳裏に再生され、目の前の曜子さんの顔を重なっていく。
なんだ、そうだったのか、と浩次は愕然とした。
自分はまだあの春の光に満ちた草地に座り続けたままだったんだ。
真実を見極めぬかぎり、自分の間違いがわかるはずもない。そんなのは当たり前の話ではないか。何のことはない、あのとき本当に死にたかったのはこの俺だったのだ。俺がこの人を必死に止めたのではなく、最後の最後、この人こそが俺を必死にとめようとしたのだ。生きる術を見つけがたく、生きる理由をみつけがたく、自らの時間を喪失し、死の誘惑に魅入られてしまったのは、この人ではなく、この俺の方なのだ。この人が俺を信じ頼ろうとしたのではなくん、俺がこの人を信じ、頼ることができるように、そして俺を周囲から守るために、この人は今のいままで懸命にウソを突き通してきたのだ。この人は自分がいきるためにそうしたのではなく、どこまで投げやりなこの俺を生きさせるために、俺の独りよがりで身勝手な申し出を黙って受け容れてくれたのだ。これまでの一切を悔い改め、もう一度いきてみようとしっかり思い固めたのは俺なんかではなくこの人の方だったのだ。俺はなんと傲慢な人間なのだろう。なんと浅はかな人間だったのだろう。あんな馬鹿なことをしでかしたあげく、それでもまただ、自分が誰かに同情し誰かを哀れみ、誰かの力になれると思い込んでいたなんて。これまで、誰のことも真剣に同情できず、誰のことも深く哀れむことができずに、誰の力にも本気でなろうとしなかったからこそ、自分ひとりで死ぬこともせずに、この人の苦しみに乗じてあんな取り返しのつかないことをまるで無責任にやってしまったと言うのに、

浩次はゆっくり立ち上がった。ズボンのしりがしとどに濡れている。膝は元に戻っていたが、もはや歩けるかどうか全く自信がなかった。曜子さんも立った。その手がそろそろと伸びてきて浩次の濡れた手を強く握った。
「さあ、いきましょう」
浩次はその顔をみた。初めて彼女のことをちゃんと見定めたような気がした。もう、自分は独りでは歩けなくてもいいのかもしれない、と不意に感じた。いま共に同じ地面から立ち上がったように、これからはこの二人の足で歩いていければ、それでいいのかもしれない。一度倒れた人間が新しい一歩を踏み出すと言うのは恐らくそういうことではないだろうか…。浩次君、30歳の誕生日、おめでとう。
まるで祈りをつぶやくような小さな子で曜子さんが言った。





草にすわる (光文社文庫)

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