壁の正体

壁を感じる

自分勝手に思い込んで裏目にでることぉ
よくあるけーど生きていきーたいきょーよりあしたぇへー





あの人とは壁を感じる、この集団には壁を感じる


そんな風になんとなく
馴染めないなぁと思うことが良くある。

というか

正直に言えば世界にすら感じることもある。

それは現実でかもしれないし
思考の中でだけかもしれない。



小さな世界で必死に動き回ってモガいてみても
そこらじゅう壁ばかりで八方塞で。

ぶつかってばかりいれば身体が痛むんだ、と
学習するようになれば動かなくなってしまい
壁が取っ払われる可能性は皆無になる。

つまり感じることによって作られるわけで
最初から存在しているわけではないのであろう。誰かが作るのである。そして壁の向こうの人・世界の事は信じられない。
むしろ敵なんじゃないかと認識してしまう。



壁がある、という表現には距離を感じる住む世界が違う、という意味も含まれているようにも思う。相容れない相手であるような感覚を。。。

ところで
他人を疑ってしまうのは本当は自分自身を信じられない事から始まる悲劇なのだとのこと。。

人は自分がしてもらったことしか相手に出来ない、というのは定説になっているのではないだろうか(まぁしてもらったからといって必ず他の人にも還元できるかといったらそうでもない人もたくさんいるけれど)。


自分に誠実でなければ相手には誠実に出来ないそうな。







例えば、仲の良い女性同士が遊ぶ約束をしての待ち合わせの場面。
A子さんはその日、寝坊してしまった。でも。友人には電車が遅れたの!と虚偽の報告をしてその場をやりすごします。そして2週間後また二人でおでかけすることになりました。その日はB子さんが遅刻をしてしまい、電車が遅れたとA子さんに謝ります。客観的に見ればお互い様のような感じがしますがA子さんの胸中は穏やかではありません

「ウソつかないでよ!どうせ(あなたの場合も)寝坊なんでしょ!!」と憤慨してしまいなんと、でかけることを止めて帰宅してしまいました。

この場面で大事なのは、(あなたの場合も)と思ってしまうA子さんの心情がどこから湧いてくるのか、という事です。これはA子さん自身が自分の失態を正直に言わず誤魔化したと言う経験から、相手も同じような理由に違いない!とおもってしまったのでしょう。
これが自分にウソをつくと相手を信じることが出来なくなるメカニズムです。


そう、自分の失敗とか弱みと誠実に向かい合って、悪いことしたなぁ〜やっちゃった!と自身のミスを自分で認めることができなければ他人との関係など適切に築けるわけがないのです。

自己肯定するには他者肯定をするしかない
逆説的には自分を信じれないと他人なんか信じられないってこと。

「皆違ってみんな良い」という事
つまり誰にでも弱点があるのであって
自分の弱点すら受け容れられない人がどうやって他人格である他人の弱みを受け容れることができようか、という事です。


だーれだって弱いトコあんじゃん?
まぁ俺もダメだからお前もそれでいいよ、そのかわり
俺のことも許してね♪

こんな関係が個性を認め合うという関係になるのではないかと思います。





このことはパワフルな人に言わせれば、「自分を甘やかして自分の限界を下げて甘えているだけ」と言われそうですが
その理論は恐らく間違っていないし甘受すべきだと思います。

ただ、そんな常に完璧を求め緊張を強いるような人と共有する時間を持ちたいかといえば、甚だ疑問ではあります。メンターとか言って啓発交流会に励んでる方には理解されないかもねー





一歩踏み出せなかった、傷つくことをただ恐れたんだ〜
自分の殻なんて悩んで悔やんで病んで出す答え〜 
照らす陽はまぶしくて壁があるようで切なくて〜
逃げる俺に君は手差し伸べて負けないで!ってそこで俺やっと気づいた壁なんて無かった自分で作ったもんだった、

というようなフレーズがレンジのラブパレードの終わりのラップ?部分にありますが(夏にはイケナイ太陽を聴きたいw)、壁って自分から作っていることが多いような気がする。それは自分の価値観とか考え方の枠組みの中の常識で考えているような世界なんだから(私の考える世界では)私は外に居る人間なのだ、だから壁が出来て当たり前。そんな風な思考・価値観が壁と言うものを創造するのだと思います。そうだとするならば、世界とつながるチャンスって全部こっち側にあるような気がするんだよなぁあくまで妄想している段階での答えですがww


そうはいっても、自分を信じるには、そんな風に振舞えない自分が相手を信じられるようになるまで付き合ってくれる人が必要なんですけどね、きっと。そういう意味で漫画やドラマに出てくる引っ込み思案の主人公の持っている壁を平然と壊してくれるようなメシア(救世主)の出現は常に人々の憧れであり、いつは僕にも私にも、ヒーローが訪れてくれると言う願望はなくならないのだと思う。


やっぱり
まだまだ

あーいされるよりもあいしたいマジで〜♪の意味はわからなそうだ・・・笑