実体無き支えの有用性
振り返れば、ふるさとは場所ではなくて、あなたでした♪
ここにあなたがにいないことじゃなくて
ここにあなたがいないと思うことが悲しいぃ♪
誰かがいるから強くなっていく
孤独だとしても
そしていま僕は 誰かのためにいるんだ♪
☆
この3つの歌詞が言いたいことは
きっと、出口と入り口は一緒なんだ。
「心は頭脳の中にある」
あるいは
「考えることは思いをめぐらせること。
つまり考えることは、心が行っている」
という言葉を聴いたことがある。
つまり実体なんか無くても
あの人が私の心の中で
辛さも喜びも分かち合ってくれうと言う空想を描けることが
人を豊かに健康にしてくれるのだと思う。
もしも、あの人が、ここに本当にいてくれたら
きっと、こういう反応をしてくれる!そうだ!
私には支持者がいるんだ、帰れる場所があるんだ!
こういう安心感と言うかある意味で逃げれる場所が
心に多くある人は、とっても強かに生きれるのだと思う。
だから思い出の効用も
助けてくれる密度の高い仲間がたくさんいる人ほど
実生活も快活に過ごすことが出来るのだと思う。
ただ、あくまで個々人の容量の問題だから
それは一人分の支えだけの体積で
満たされる人もいるから、人数という数字が絶対的な指標にはなりえないのだけれど。
底辺(人数)×高さ(深さ)という感じでしょうか
☆
自分勝手に思い込んで裏目に出ること
よくあるけど生きていきたい今日より明日へ♪
この歌詞だって
たくさんの人たちの考え方の多様性に(信頼できる価値観)
ふれることができなければ、思考は凝り固まって
深みはハマって裏目にでてしまうことがあるから
自分を信じるのは良いけど、しかりとした視野を持った上での
取捨選択の後の自己信頼であれって、言っているのではないだろうか。
☆
心ある人の支えの中で
なんとか生きてる今の僕で♪
寂しいのに平気なフリをしているのは
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ
そんなことでプライドを守っていて良いのだろうか
もう二度と本当の笑顔を取り戻すこと
出来ないかもしれないと思う夜あったけど
大切な人たちの温かさに支えられ
もう一度信じてみようかなと思いました♪
この二つに共通する事だって
守り神という自分を支持してくれる人たちがいてくれる(と思える)から
人って戦っていけるんだ
広義としての心の中に存在して
辛さや苦しみの荷物を担いでくれるから
負担が軽くなって、また次にいけるって思わせてくれる。
別に隣になんていなくてもいい
むしろ、中心にいてくれているという空想や錯覚として
パワーを与えてくれることの方が大切で。。
心にいて欲しいと思えるくらいの人が
ただそこにいるだけで
拠り所にもなるし力にもなる
物理的なパーティーを組むとかじゃなくて
心に誰もいない状態で強く生きようとするのは難しいと言う意味で
人は一人では生きていけないって、誰かが言うのかもね