悲哀の受け入れ方


失うことによって得るもの





もし私たちが喪失によって起こる絶望感や悲哀感に
持ちこたえることができたならば
私たちは一つ学ぶことになります。









そこで何を学んでいるのでしょうか。それは私たちが生きている。ということを、学んでいるのです。喪失は部分的な死に近いものです。私たちが大事な対象を喪失したときには死んでしまいたい気持ちになります。周りに対する関心がなくなっていまい、外のものはモノトーンにしか見えなくなり死んだほうが楽なんじゃないか、と。








しかし私たちは大事なつながりとか何か持っている大切なものを意識することで死んでしまいたい気持ちを何とか、生き延びるほうへむけていくことができるのだと思います。私たちが対象喪失を通して悲しむということは、私たちが、生きていることの貴重さを実感する大切な機会なのです。親が死んで初めて親のありがたみを知る、という言葉がありますが、親のありがたみだけでなく、自分が生きていること、あるいは自分が生かされていることのありがたみを知るのです。
持っているときには当たり前に感じて気づかないことを、失うことによってはじめてきづくのです。失うこと、戻ってこないこと、ある種の死に近い体験をすることで逆に私たちは、今生きていることをきちんと認識することができるのです。親や配偶者や大事な人物を失って、悲しみに浸ったなかに、生きている存在をもう一度発見することができるのです。私たちは大事な人たちを実際に失ったりしますが、自分の心の中に父親や母親や配偶者と言った失った人たちは、あるいは失恋と言ったことを含めて、失った人たちとのつながりを甦らせたり大事にすることができるのです。
いろいろな喪失や挫折において、悲しみ、絶望を体験していると、それはどこかで底を突きます。自分も死んでしまいたいし、世の中も死んだように感じ続けてきのがあるときから変わり始めていくのです。底尽きが起きてくると、そこから生きている感覚が味あわれます。この感覚に行き着くことができれば生きる手居ることの貴重さを知ることができるわけです。あるいは、生きている周りの人たちの貴重さを知ることができるようになります。こうして周りの人たちへの感謝や思いやりの気持ちが湧くのです。

悲しみの只中から生まれるもの


思いやりと言うのは私たちが体験した喪失や挫折の
悲しみを踏まえて、周りの人たちがそういう
つらく悲しい体験をしなくてすむように
あらかじめ心配りすることです。




自分自身が身を持って、
悲しみの体験をしたことを
周りの人たちに生かせるのが思いやりです。


私たちの体験を生かしてはじめてできることです。
標語などによく、思いやりを持ちましょう
とありますが
本当の思いやりは自らの悲しみを味わいきらないと

その人には生まれないものです。




決して頭の中だけでできるものではありません。自分がつらく痛い思いをしたことを味わって、そういう思いは他の人にさせたくない、と配慮する事が思いやりです。本当の感謝も、悲しみの体験や心の痛みを味わうことによって生まれるものです。




心理臨床の広がり (帝塚山学院大学大学院「公開カウンセリング講座」)

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