生を産み落とすということ

子供は感じている不安や恐怖を言語化できない。

だから

抱きしめるとか背中をさするとか大丈夫だよ
と言ってあげると安心します。

ちょっと考えれば、というか自分が経験していれば
そういうことが安心感を与えるんだって知っているはず。

そんなケアも、啓発していかないと出来ないほどの
貧しさなのか

なんか悲しいなぁ
最高位から、選択肢の一つになってるんだろうなぁ
子育てって。。

まぁ多様性といえばそれまでだけど。



ただ徹頭徹尾
親が一人の大人として生きていく方を優先して
贖罪される理由なんて無いはず








例えば




母子関係の様々な問題も児童心理学的に言うと
母親の子供への愛情が不足しているからと言うよりは
母親側が我が子がどれほど自分を必要とし
愛してくれているかということを
掴み取れなくなっていることが最大の要因なのです。

彼女たちは子供を愛せないって悩んでいるんですが
実際は、子供から自分がどのくらい愛されているかを知らないだけなんです。要するに今の母親たちは何より重要なのが自分の相手への気持ちでなく、相手からの自分への気持ちだと気づき事ができないんです。


発達心理の面から見ても、人間の愛情欠落の最たる要因は幼少期の愛情不測だと証明されています。だから、私は、愛することよりもまず、愛されることが大切なんだと思います。


とも説かれているし


クライエントを完全に見誤っていた。

確かに保育施設を増やすための予算は
親たちには有難かったと思うよ。

だけど、本来、教育のための国費というのは
これらから育つ子供たちのために使われるべきだろう。

クライエントは親たちじゃなくて子供たち自身のはずでね。ところが僕たちは、そんな子供たちのことを一切考慮せずに勝手に親の都合だけを優先する予算付けをしていまった。

要するに真の顧客の声を聞かずして
全く顧客のためにならないサービスを提供したってわけさ。

よく考えてみれば生後わずか43日の子供が親を手放して他人に預けることを可能にするシステム作りなんて、社会全体のために有益なはずがないよね。そんなことしたら子供がまともに育たないのは当たり前の話だ。なのに、それほど単純なことにも気づかなかったんだから、全くあの頃の僕たちはどうかしていたと思うよ。


なんていう資料もある


その一方で





女の幸せとは何だろう。
結婚だと言う人もいまだにいるが、そうとは思わない。






この時代、結婚=幸福という公式を覆す実例は山のようにある。
ただ、結婚が女性の幸福を保証しないからといって
未婚が女性にとって幸福かといえばそれは違う。


結婚=幸福、が確実でないにしろ
未婚=非幸福、という公式は未だにゆるがないのはなぜだろう。というのも、子供を持つということは、女性にとってかなりの確率で幸福なのではないだろうか。


未婚=非幸福、という公式が揺るがないの
未婚=未出産という通念が未だ
社会全体に罷り通っているからではないだろうか。


要するに「結婚=出産=幸福」という公式と「
未婚=非出産=非幸福」という公式があって
最終的に女性の幸福を論じるときに重要なのは

結婚・未婚の区別ではなく、出産・未出産の区別の方ではないだろうか、出産=幸福、未出産=非幸福、というカテゴリーには確かにある種の説得力がある。その点に着目すれば、結婚できない女性が不幸なのではなく、本当に不幸なのは、出産できない女性なのかもしれない。




どちらの立場からのバイアスもあるのだろうけれど

よくわかんない



どれくらいの愛情 (文春文庫)

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